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サムスン電子の李健煕会長が死去、78歳-グローバル企業に転換

更新日時
  • 模造品メーカーから誰もが欲しがるハイテクブランドに
  • 05年に米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」に選出

韓国のサムスン電子は25日、李健熙(イ・ゴンヒ)会長が死去したと発表した。78歳だった。李氏は同社を模倣品の家電メーカーからスマートフォンやテレビ、半導体の生産で世界最大の企業に生まれ変わらせた。

  発表文によれば、李氏は家族に見守られながら25日死去した。死因には触れていない。同氏は1990年代の終わりに肺がんを患い、2014年には心臓発作を起こして手術を受けていた。その後、韓国最大の財閥であるサムスングループは、同氏の一人息子の在鎔(ジェヨン)氏が事実上率いている。

  李氏は「妻と子以外は全て変えよう」をスローガンに自社の技術革新を促してソニーなどの競合企業を追撃した。韓国一の資産家で、ブルームバーグ・ビリオネア指数によれば、純資産は推定207億ドル(約2兆1700億円)。

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李健熙氏(2008年)

  サムスン電子は発表文で「李会長はサムスンを韓国の一企業から世界的な創造性あふれる大企業に変身させた本当に先見の明がある人物だった。彼の功績は永遠に残る」とたたえた。

  05年に米誌タイムの「世界で最も影響力のある100人」に選ばれた李氏がサムスン電子の改革に乗り出したのは1993年。イ・ギョンシク氏が2010年に執筆した李氏の伝記によれば、ロサンゼルスの家電店でほこりまみれの自社製品を目にしたことがきっかけだったという。

  サムスンによると、李氏は1942年1月9日にソウルの南方約240キロにある大邱で生まれ、近隣の慶尚南道宜寧郡で育った。父の李秉喆(イ・ビョンチョル)氏は38年に大邱に4階建ての食料品店をオープン。これが後のサムスングループとなる。末男の李氏は早稲田大学を卒業後、米ジョージ・ワシントン大学で経営学を学び、71年に父から後継者に選ばれた。

  李氏の改革は徐々に実を結び、サムスン電子は2006年に薄型テレビの販売でソニーを抜いて首位に立ち、同年に時価総額が1000億ドルを突破した。10年にグーグルの基本ソフト(OS)「アンドロイド」を搭載したスマートフォン「ギャラクシー」ブランドを発売。11年にアップルを抜いてスマホ販売台数でトップに浮上。12年には全ての携帯電話の販売で、10年以上にわたり業界トップに君臨していたフィンランドのノキアを超えた。

  1990年代後半には政治スキャンダルが李氏を襲う。同氏は96年に盧泰愚元大統領への贈賄罪で起訴されたが、1年後に金泳三大統領(当時)から恩赦を受けた。

  2009年には脱税とグループ企業のサムスンSDSに損害を与えた背任罪で有罪となり、罰金1100億ウォン(現在のレートで約102億円)と執行猶予付きの懲役3年の判決を受けた。しかし李明博大統領(当時)は4カ月後に、平昌五輪招致のためとして国際オリンピック委員会委員でもある李氏に恩赦を与えた。

  スキャンダルの渦中にあった08年にサムスン電子の取締役を辞任した李氏は、10年3月に会長に復帰した。息子の李在鎔氏は12年12月に同社の副会長に就任。長女の李富真(イ・ブジン)氏はグループ傘下のホテル新羅の社長を務めている。

原題:Lee Kun-hee, Who Transformed Samsung Electronics, Dies at 78 (1) (抜粋)

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