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李登輝・元台湾総統が死去、90年代の民主化主導-中国からは敵視

更新日時
  • 96年には台湾初の直接選挙による総統選で勝利を収めた
  • 中国とは「特殊な国と国との関係」にあると発言-中国は激しく反発

台湾の李登輝元総統が30日、死去した。97歳だった。多臓器不全などで入院していた台北の病院が発表した。1990年代の民主化移行期に台湾を率い、「民主化の父」と呼ばれた。

  李氏は初の台湾生まれの総統として、有権者の直接投票による議会選挙と総統選挙の実現に寄与した。それまで中国との関係に軸足を置いてきた国民党の政策から距離を置き、内政を重視。台湾独立を志向する政党の政治参加に道を開いた。またそのために、中国からは敵視された。

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2007年に来日した李登輝氏(中央)

  1988年に総統に就いた李氏は、96年には台湾初の直接選挙による総統選でも勝利し、総統在任期間は約12年間に及んだ。李氏の進めた民主化が中台関係を損ねると中国は激しく反発し、96年の総統選に向けた準備期に台湾近海でミサイル発射や軍事演習を強行した。

  李氏は99年7月、中国とは「特殊な国と国との関係」にあると述べ、中国側はこれを独立宣言に近い発言だと受け止めた。中国は台湾を自国領土の一部だと主張している。

  「一つの中国」という枠組みを拒否している民主進歩党(民進党)の蔡英文現総統は、2016年に李氏の財団でスピーチし、「総統を直接選ぶ権利は台湾の民主化における重要な節目だった」と指摘。「『李登輝時代』は台湾民主化の歴史において極めて特別な意味を持つ」と述べた。蔡総統は30日、フェイスブックに「李氏は静かな革命を通じて台湾を導いた」と投稿し、その功績をたたえた。

  李氏が総統を退いた2000年の総統選で、国民党が民進党に敗れ、台湾初の政権交代が実現した。

Taiwan's main opposition Democratic Prog

蔡英文氏と握手する李登輝氏(右、2012年)

  李氏は日本統治時代の1923年1月15日、台北近郊の農村部で生まれた。18歳で京都帝国大学に進学。46年に台湾に戻った。その翌年、中国大陸から渡ってきた国民党の兵士が以前からの台湾住民(本省人)の抗議行動を徹底的に弾圧した「2・28事件」が発生。92年にはこの事件を巡る行政院調査報告が公表され、台湾のトップとして初めて公に事件を認めた。

  李氏は国立台湾大学で農業を学び、68年には米コーネル大学で博士号を取得。71年に国民党に入党、78年には台北市長に指名された。李氏は2007年の来日時、旧日本軍の兵士としてフィリピンで戦死した実兄がまつられている靖国神社を参拝し論争を呼んだ。

  安倍晋三首相は31日、李氏は「日本と台湾の親善関係、友好増進のために多大な貢献をされた」と功績をたたえた。台湾に「自由と民主主義、人権、普遍的な価値」をもたらすとともに、「日台関係の礎を築いた方として、多くの日本国民は格別の親しみを持っている」として、哀悼の意を示した。官邸で記者団に語った。

Lee Teng-hui

台湾総統として宣誓する李登輝氏(1988年)

原題: Taiwan President Who Forged Island’s Path to Democracy Dies(抜粋)

(最終段落に安倍首相のコメントを追加して更新します)
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