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中曽根康弘元首相が101歳で死去、「戦後政治の総決算」に尽力

更新日時
  • 「戦後政治の総決算」掲げ3公社民営化、「ロン・ヤス」で日米関係強化
  • 終戦記念日に現職初の靖国参拝、ライフワークの憲法改正は果たせず

「戦後政治の総決算」を掲げ、1982年から87年まで首相を務めた中曽根康弘氏が29日、死去した。101歳。自民党が発表した。首相としての通算在職日数は1806日で戦後第5位。葬儀は近親者のみで執り行い、後日お別れの会を開催する。

  中曽根氏は、内政面では「小さな政府」を志向して行財政改革などを進め、国鉄(現JR各社)、日本電信電話公社(現NTT各社)、日本専売公社(現日本たばこ産業、JT)の民営化を断行した。

FORMER PRIME MINISTER NAKASONE

中曽根元首相(2007年2月)

Photographer: Robert Gilhooly/Bloomberg News.

  対外的には「国際国家日本」を掲げて積極外交を展開し、当時のレーガン米大統領と「ロン」「ヤス」と呼び合う信頼関係を構築して日米関係強化に尽力した。1983年1月の訪米時のワシントンポスト紙との朝食会では、万が一の有事の際には日本を「不沈空母」にすると発言したと報じられた。

  首相在任中の85年には、過度なドル高是正に向けた「プラザ合意」に基づき大幅な円高・ドル安を容認。その後の円高不況を受けて日本銀行が進めた金融緩和で地価や株価が高騰し、バブル経済が発生した。 内需拡大など日本経済の構造改革を訴える「前川リポート」(86年4月)がまとめられたのも中曽根政権の時代だった。

原子力発電

  首相就任前から原子力発電を推進、2011年3月の東京電力福島第一原子力発電所事故後もその姿勢は変えなかった。

  原子力の平和利用を唱えた「原子力基本法」(1955年成立)の制定に尽力した。東日本大震災直後の2011年4月26日付の朝日新聞朝刊に掲載されたインタビューでは、福島第一原発事故について周辺の住民には非常に大きな迷惑を掛けたとした上で、大変な被害は受けたけれども今度の事故に鑑みて、よくそれを点検し、これを教訓に原発政策は持続・推進しなければならないと発言した。

  1918年に群馬県で生まれた。東京帝国大学卒。第二次世界大戦では海軍主計少佐として終戦を迎えた。内務省を経て、47年の総選挙で当時の民主党から出馬し初当選。科学技術庁長官、防衛庁長官、通産相などを歴任。82年の自民党総裁選挙で河本敏夫氏らを破り第11代自民党総裁、第71代首相に就任した。首相退任後も自民党衆院議員として活動したが、2003年の衆院選で当時の小泉純一郎首相が中曽根氏の公認を高齢を理由に拒否したため、政界引退に追い込まれた。

青年将校、風見鶏、大勲位

  50年以上の議員生活では多くのニックネームがつけられた。「憲法改正の歌」を発表した若手議員時代の「青年将校」。中曽根派を率い、田中派、大平派、福田派など大派閥の間を巧みに遊泳し、首相の座にまで登り詰めた「風見鶏」。1997年に大勲位菊花大綬章を受けた後は「大勲位」と年代によって変遷した。85年8月15 日の終戦記念日には現職首相として初めての靖国神社公式参拝に踏み切ったが、中国への配慮からその後は取りやめた。

  憲法改正は引退後も超党派の国会議員らでつくる「新憲法制定議員同盟」の会長を務めるなどライフワークとして訴え続けたが、念願は果たせなかった。2015年5月の都内での会合では、現行憲法について「長い間、改正できずにおり、誠に日本の歴史に対して申し訳ないと思っているのが今の心境。もうあと何年生きるかわからないが、せめて皆さんと一緒にこの大きな仕事に参画させていただき、責任を果たしていきたい」と語っていた。

(自民党の正式発表を受け、第1段落を更新しました)
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