首相の頼み断った男、旧住信・高橋氏の企業統治観ー長銀破綻20年

  • 曲げなかった取締役会の方針、救済合併を拒んだ理由とは
  • 顧客との信頼関係がビジネスの原点-高橋温氏インタビュー

「首相の頼みを断るなんて、度胸があるとか言われちゃって」--。三井住友信託銀行の高橋温名誉顧問(77)は苦笑する。ちょうど20年前の夏。統合前の旧住友信託銀行社長に就任したばかりの高橋氏は、小渕恵三首相(当時)と公邸で向き合っていた。同行は当時、経営危機の日本長期信用銀行(現新生銀行)の救済合併を検討中。小渕首相らは「日本発の世界恐慌は避けたい」と合併の決断を急ぐよう迫ったが、高橋氏は首を縦に振らなかった。

  高橋氏は取材に、同行取締役会として「長銀の不良債権に慎重に対処する方針を出していたので、総理のように偉い人から言われたからってそれを変えることはできないというだけ」と振り返る。当時は明文化されていなかったコーポレートガバナンス(企業統治)の原則がすでに身体の中にあった。

1998年6月、長銀との合併検討を発表する高橋温・住友信託銀行社長(当時)

Photographer: Shizuo Kambayashi/AP Photo

  一方、危機時ならではの企業統治が求められた場面もあったという。本来、高橋氏は取引先、株主、従業員は同じぐらい大切と思っているが、社長に就任した1998年は日本株が大暴落していた非常時。住信株も急落していた。IR説明会では「本来取引先、株主、従業員は平等だが今は株主中心でやります」と宣言し、実際に従業員の賞与を切り下げるなど利益最優先の経営をして株主に報いたという。

  高橋氏は、最近はコーポレートガバナンスコード策定で企業統治の概念が日本で急速に定着してきたと評価する。しかし、多くの企業の取締役会が執行と監視を兼ねている点には疑問を投げ掛ける。危機時に陣頭指揮を執った経験から「会議体はしょせん会議体で、物事を遂行する力はあまりない」と実感しているからで、監視に徹して不正チェックや業績評価でこそ力を発揮するべきだと指摘する。波乱を乗り越えてきた高橋氏からの、今の世代への問題提起だ。

バブルの教訓

  長銀は、もともと国の基幹産業だった重工業を中心に長期資金を融通する国策銀行として1952年に設立されたが、高度経済成長が終わりこうした資金需要が細る中で不動産融資に傾斜。バブル崩壊で多額の不良債権を抱えた。住信は投資銀行業務などに魅力を感じ長銀との合併を検討したが結局は断念。長銀は98年10月23日に破綻、国有化された。

  高橋氏が心に留めるバブルの教訓は「顧客との信頼関係がビジネスの原点だということを常に思い起こす必要がある」という当たり前のことだという。しかし、「当たり前のこと」を実践するのは時に難しい。破綻当時、長銀の総合企画部で住信との合併交渉などを担当していた山下雅史・ローソン銀行社長は、なぜ長銀が国有化されなければならなかったのか、繰り返し考えたという。「最後の一歩、何かが足りなかった。本当に必要としてくれる顧客をちゃんと捕まえていなかったんだと思う」。

高くついた公的支援

  高橋氏はもし長銀が住信と合併していたら国民の支払う「コストは安く済んだと思う」と指摘する。企業の資産は経営の存続を前提としており、清算が決まると一気に価値が落ちるからだ。政府の発表によると、存続を前提とした98年9月の長銀の債務超過額は3400億円だったが、国有化直後では同2兆6535億円。最終的に、政府が長銀に投入した公的資金は約7兆9000億円に膨らんだ。2000年にたった10億円で米ファンドに売却された。

  「民間が手を出さない、出せない時、銀行を救うために公的資金は許されることだと思った」。98年に衆院金融問題特別委員長として銀行への大規模な公的資金投入に道を開く2法案をまとめた相沢英之氏は08年の取材時にこう話し「国としてこれだけ思い切った投資をしたのだから、長銀にはちゃんと再生してほしい」と期待を口にしていた。金融危機時に公的資金の注入を受けたのは計34行。33行は既に完済したが、残された新生銀に完済の目処は立っていない。

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