波がゆったりと打ち寄せる砂浜。潮風の中をランナーが走っていく。波音は海辺のオフィスビル5階に穏やかに流れるジャズの音色と溶け合う。運が良い日はシーバスが飛び跳ねる姿も見える。

  窓際のデスクでコンピューターに向き合うオフィスのあるじは、カズワタベ氏(30)。釣り人向けのスマホアプリと情報サイトの運営を手掛ける「ウミーベ」の最高経営責任者(CEO)だ。ワタベ氏にとって釣りは趣味であると同時にビジネスでもある。

  東京で一度は断念した起業家の夢をここ福岡市で実現している。自然に恵まれる一方、最寄りのJR筑肥線・今宿駅から電車に乗れば繁華街の天神まで30分もかからない。かつて起業した「渋谷のど真ん中」とは大きな環境の違いだ。

カズワタベ氏
カズワタベ氏
Photographer: Tomohiro Ohsumi/Bloomberg

  「自分がどういう環境にいたいのかを逆算して事業を組み立てるのは悪いことではない」と話すワタベ氏。2013年末に東京から福岡市に移住した後に今の会社を立ち上げた。仕事の合間を縫って週に1度は釣りを楽しむ。

議論より実践

  日本列島で人口縮小が進む中、福岡市の近年の人口の伸びは著しい。10年からの5年間の人口増加数は東京23区を除きトップ。市ではワタベ氏のような起業家を国内外から呼び寄せ雇用を創出、東京一極集中の流れを変えようと狙う。

  けん引するのは10年に同市で歴代最年少の市長に就任した高島宗一郎氏(42)だ。いずれ人口減で税収が減る時代が来るので、税金のばらまきではない形で産業創出をしないといけないというのが高島氏の考え。「お金を使ってというのはもう前時代の話で古い、ダサい、未来がない」と言い、「規制緩和というインセンティブでビジネスのしやすい環境を提供することが非常に大事」と話す。

  実際、新産業創出は時間との戦いだ。今は人口が増えているとはいえ、市の推計によると、2035年ごろには約160万のピークに達する見通しとなっている。そんな中で始まったのが、政府の国家戦略特区制度で認定された「グローバル創業・雇用創出特区」だ。地域限定の規制改革を通じて市を「スタートアップ」の拠点にする取り組みだ。

  例えば、外国人が起業する際の雇用者数や資本金のルールを緩和した「スタートアップビザ」を導入、挑戦を後押しする。創業5年未満の法人対象のスタートアップ法人減税も導入済み。市が「最初にチャレンジ」することによって、「最先端のチャレンジャーたちを福岡に囲い込む」と高島氏は話す。議論よりも実践を通じて他の人たちが続く道を作ることが、「最速で日本を変えていく方法だとも思っている」と言う。

立地の強み

  高島市長が見据えるのは、福岡と同じにように山や海に囲まれた土地で世界的な企業の拠点となっている米シアトルのアジア版。11年に訪れた際に、首都ではない福岡と同じように自然に囲まれた都市が、アマゾンやスターバックスなどの世界的な企業の拠点になっていることに感銘を受けた。街の住みやすさと新たなチャレンジがつながってビジネスを生むところを見て感化されたという。

  福岡市の強みはその立地だ。中心部に位置する福岡空港からは香港、ソウルや台北など主要都市に直行便が飛ぶ。3時間のフライト圏内に8億人以上の大市場が広がっている。空港に直結した地下鉄で博多駅までは2駅約6分。地下鉄の車両内には、駅名が日本語、韓国語、中国語、英語で表示される。

アジアの玄関口
アジアの玄関口
Bloomberg

  「この地の利に勝てるところはなかなかない」と話すのは、無料通信アプリを運営するLINEのグループ会社、LINE Fukuokaの落合紀貴社長(42)だ。オフィスは博多駅の近く。LINEのサービスが伸びている台湾やタイ、インドネシアなどに東京からよりも近いのが魅力だ。同社は13年11月に設立以来、従業員は600人以上増え今は800人を超える。女性が約半数を占め、管理職も約30%は女性。エンジニアの約半数は外国籍という。

台湾から移住した林康司さん
台湾から移住した林康司さん
Photographer: Tomohiro Ohsumi/Bloomberg

  台湾から移住した林康司さん(35)は「環境も変えて挑戦的なことをしたかった」と15年末に入社。混雑の激しい東京は避けた。家族にとって福岡は「程よい都市」と感じている。2人の娘は地元の幼稚園に通い、妻は日本語を学んでいる。福岡は台湾に帰省する際も便利だ。

  福岡市の経済規模は約7.2兆円で、東京都の約7%。オフィス賃料は東京の半額。首都圏には3500万人以上が住み面積も広いが、福岡市は海や山などに近く車や電車ですぐに行ける。

不動産

  ビジネスサイクルが速いのも特徴だ。福岡アジア都市研究所によると、福岡市での開業率は約7%と東京を含む21の主要都市で最も高い。廃業率も5.1%と2番目。福岡市の仕事の約9割が第三次産業で、これは全国の71%を上回っている。

  米ステート・ストリート信託銀行は福岡市の営業所で約130人の社員を雇用しているが、国籍は約20に及ぶ。営業所の開設は東日本大震災の翌年の12年。東京だけの拠点は「さまざまなリスクがあった」と東京で勤務するリチャード・フォガティ社長は話す。福岡を選んだ決め手は優秀な大学が多く人材確保に適していたからだと言う。

  人口流入で地元の不動産市場も活性化している。オフィス賃貸仲介業の三鬼商事によると、09年に約15%だったオフィス空室率は16年には4.3%に低下した。

  05年に日本初の地域特化型のリートとして上場した福岡リート投資法人の運用資産額は倍増し約1730億円となった。資産運用会社である福岡リアルティの財務部シニアマネジャー、藤田尊文氏は、不動産はローカルなビジネスで、「情報のスピードと質と量がやはり地元にいると東京にいるよりも優位性がある」と話す。人口増は街に勢いをもたらしているという。

  福岡市は街の主要機能が那珂川を挟んだ東西の平野部に集積されたコンパクトシティー。昼間はビジネスマンや学生が川を渡って行き来。夜になると、屋台が並びとんこつラーメンの香りが漂う。ネオンきらめく中洲は繁華街のエネルギーであふれる。

双子都市

  コンパクトシティーには歴史がある。中国大陸や朝鮮半島に向き合う福岡は古くから海外交流の玄関口で、アジアとの貿易が発展。13世紀には元寇(げんこう)を退け、江戸時代に武士の町が形成された。那珂川を挟んで東は商人の町・博多、西は城下町・福岡という双子都市として発展した。

市内の交差点
市内の交差点
Photographer: Tomohiro Ohsumi/Bloomberg

  1961年に初の基本計画を策定した際に一度は工業都市を目指したものの、一級河川がなく工業用水の確保が困難だったこともあり断念した。東の北九州地区は、整備された港湾や豊富な工業用水を武器に工業都市としてすでに栄えていた。北九州市は当時の門司、小倉、若松、八幡、戸畑の5市の合併で1963年に発足、人口は福岡を上回り、3大都市圏以外では初の政令市に指定された。

  今、両市の形勢は逆転している。国勢調査によると、2015年までの5年間で福岡市の人口は約7万5000人増え、外国人の人口も22%増加した。これに対し、北九州市の人口は同じ期間に1万5000人以上減り、東日本大震災後の福島県の避難地域を除けば全国の市町村で最多だ。両市の変貌ぶりは福岡県選出の麻生太郎財務相も2月の国会審議で指摘した。

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  北九州市は「高年齢者の活躍や介護サービスの充実」の国家戦略特区として指定され、人口減少にチャレンジする。北九州市門司出身の山本幸三地方創生・規制改革担当相は、若い人が何か始めるときにはニッチで小さな仕事からスタートすることになるが、福岡はベンチャー企業を起こしやすく、「一つの希望だ」と話す。

  九州大学など教育機関も人材育成に力を入れ経済基盤の多角化に取り組む。同大には16年時点で2000人以上の留学生が在籍している。今年は課外活動の一つとして「起業部」がスタートする。メンバーの1人、医学部学生の奥田一貴さん(22)は、医療関係ビジネスを2つ立ち上げる準備を進めている。以前は東京でないと起業も夢もかなえられないと思っていたが、今は「福岡でも実現できるのではないか」と言う。

スタートアップカフェ

  市内にある大規模なショッピングモール「キャナルシティ博多」の近くに、「The Company」という新たなコンセプトの広々としたオフィス共有施設がある。単なるスペース共有の「シェアオフィス」だけでなく、仕事にも関わり合う「コワーキング」をうたう。現在約200人、約80社が利用しているという。

スタートアップカフェ
スタートアップカフェ
Photographer: Tomohiro Ohsumi/Bloomberg

  ベンチャーキャピタル「F Ventures」の代表パートナーを務める両角将太氏(29)も利用者の1人。 東京での経験を生かすために地元の福岡に戻ってきた。融資は債務につながり起業意欲をそぐのでスタートアップ企業に必要なのは投資だと語る両角氏。「福岡市はスタートアップと言っている割には資金のところで矛盾があった」と言い、「福岡のために何とかしたいと思った」と話す。

  那珂川を渡ると繁華街の書店「TSUTAYA」の3階に市の創業支援拠点「スタートアップカフェ」がある。起業希望者に対して事業の立ち上げから税金や法律に関する相談を無料で提供する。起業への敷居を下げるために場所を選んだと高島市長。「単純に相談窓口がありますと言ったって来ないんですよ、役所の窓口なんか」。

  そのスタートアップカフェは次のステージに向けて準備が進む。市の中心部で廃校となった大名小学校に拠点を移す予定だ。広田弘毅元首相もここで学んだ歴史がある。3月初旬に訪れると、木の香りのする校内にドリルの音が響き渡っていた。起業家が相談したり、切磋琢磨(せっさたくま)したりする場所になる予定だ。

  特区の新制度「スタートアップビザ」の取得第1号はフランス人のヤスミン・ジュディさん(29)とトマ・ポプランさん(28)。ネット上で企業や個人と学生の仕事のマッチングをする「ikkai」という会社を16年に立ち上げた。スタートアップカフェのサービスも利用した。東京に比べて生活費、家賃などが安い一方で、生活の質は非常に良いと感じている。

  2人が福岡に初めて来たときには交換留学生だった。「この町と恋に落ちたんです」とジュディさん。「個人的にも戻ってきたかったですし、ビジネスの面でもここ起業するべきだと思いました」と話した。
 

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