ノーベル賞学者が勧める財政拡大、シムズ理論は2%物価目標へ早道か

  • 増税先送りに一役か、クルーグマン、スティグリッツ両氏に続き
  • 「再度先送りの可能性高いと考えざるを得ない」とパリバ河野氏

安倍晋三首相は過去2回、消費増税の延期を決定する度にノーベル経済学賞受賞者を重用してきた。政府が財政再建の公約を緩め、消費増税を再三延期するのではないか、との思惑が高まる中、財政拡大により低インフレから脱することが可能と主張するシムズ米プリンストン大教授が次の候補であっても不思議はないだろう。

  シムズ教授はマクロ経済学と統計学の分野で著名な学者で、2011年にノーベル経済学賞を受賞した。2月1日に日本経済研究センターで講演し、「将来にわたって増税しないなどの宣言をして物価を引き上げ、消費を拡大させることが必要」と述べ、「消費増税の延期もあり得る選択肢だ」と発言。同教授は講演後、日本銀行を訪問し幹部らと面会した。

Christopher A. Sims

Photographer: Denise Applewhite/Princeton University via Bloomberg

  国会ではそれ以来、政府や日銀に対し、増税ではなくインフレで国の借金を返そうと主張するシムズ氏の「物価水準の財政理論(FTPL)」について問いただす質問が相次いでいるほか、この問題を取り上げたエコノミストのリポートも増えている。

  債務残高のGDP比が16年時点で250%と先進国では最悪の水準に達する中、景気後退と歳入減につながるリスクを負いながら増税や歳出カットを行うのか、成長や物価上昇が債務負担を減らしてくれることにわずかな望みをかけて歳出拡大に走るのか、政府は難しい選択を迫られている。

  シムズ氏は先週、ブルームバーグの電話インタビューで、「ゼロ金利の制約に直面した状況では、財政政策を前面に出して物価上昇率に連動させる必要がある」と指摘。財政政策の発動を伴わなければ、「低金利、あるいはマイナス金利にしても経済活動は刺激できない」として、2%の物価目標が達成されるまで消費増税は延期すべきだとの見解をあらためて示した。

消費増税延期に影響与えた学者たち

  安倍政権の経済財政運営には米国の学者が多大な影響を与えてきた。2014年4月に消費税率が5%から8%に引き上げられ、景気が落ち込んだ後、ともにノーベル経済学賞の受賞者であるポール・クルーグマン教授とジョセフ・スティグリッツ教授は10%へのさらなる税率引き上げの延期を安倍首相に提言した。

クルーグマン氏の関連記事はこちら

  安倍首相が19年10月に予定している消費増税を再び延期しようとするならば、シムズ氏の理論は大いに助けになるだろう。政府が目標としている2020年度のプライマリーバランス(PB)の黒字化を先送りする口実にもなり得る。

  シムズ氏が示唆しているのはPBの黒字化目標を特定の時期ではなく、2%の物価目標の達成にリンクさせることだ。1日の講演では、金利がゼロに近づいて金融政策が効果を発揮できない状況では、「物価目標の達成と拡張的な財政政策を明確に結び付けることが必要だ」と述べた。
 
  安倍首相は1日の参院予算委員会で「私はプライマリーバランス至上主義ではない」と発言。麻生太郎財務相も同委員会で、財政のバランスより経済成長が大事だとの認識を示したが、9日の国会答弁では、20年度のPB黒字化を堅持するとの姿勢を明確にした。

  麻生財務相はシムズ氏の理論について「現実的には極めて問題」と、否定的な見解を示している。黒田東彦日銀総裁は9日の国会答弁で「実証的な研究が十分に行われていない」とした上で、「日本や欧米で現実的な政策論として有意義とは考えていない」と述べた。

  シムズ氏は日銀が同氏の理論に否定的でも問題ないとの立場だ。同氏は「金利を低水準に抑える日銀の金融政策は適切な財政政策が伴わなければならない」と述べた上で、財務省に心構えがあるかどうかだとの見解を示した。

  20年度のPB黒字化にはかねて懐疑的な見方が強い。内閣府が1月明らかにした「中長期の経済財政に関する試算」では、実質2%、名目3%以上の成長を前提とする「経済再生ケース」でも8.3兆円の赤字、より現実的な実質1%弱、名目1%半ば程度が前提の「ベースラインケース」では11.3兆円の赤字が残る。2度も消費増税を延期した実績があるだけに、19年10月の予定もまた先送りされるとの疑問は消えない。

浜田教授の託宣

  シムズ氏の理論が国内で脚光を浴びるきっかけになったのは、安倍首相のアドバイザーで、代表的なリフレ派である浜田宏一内閣官房参与が昨年11月15日付日本経済新聞で述べた一言だ。

  「私がかつて『デフレは(通貨供給量の少なさに起因する)マネタリーな現象だ』と主張していたのは事実で、学者として以前言っていたことと考えが変わったことは認めなければならない」と言明。同教授の論文に「目からウロコが落ちた。金利がゼロに近くては量的緩和は効かなくなるし、マイナス金利を深掘りすると金融機関のバランスシートを損ねる。今後は減税も含めた財政の拡大が必要だ」と述べた。

  BNPパリバ証券の河野龍太郎チーフエコノミストは2月3日付のリポートで、「シムズ理論を後ろ盾に『2%インフレが達成されるまで消費増税は先送りすべき』といった論調が強まることは容易に想像がつく。消費増税の再度先送りの可能性は高いと考えざるを得ない」という。

  その上で、「トランプ政権の誕生で、円安誘導につながる日銀の金融緩和が国際政治的に限界に達し、政府の追加財政がマクロ安定化政策の主軸にならざるを得ないことを見越してシムズ理論に傾斜していたのだとすれば、浜田宏一教授は流石(さすが)である」と指摘した。

  山本幸三地方創生相はシムズ氏が掲げる財政拡大路線の支持者の1人だ。7日のインタビューで、金利を操作目標とする日銀のイールドカーブコントロールは財政拡大が前提で機能していると指摘。財政を拡大して国債発行をし、景気の押し上げ効果による金利上昇を抑えることでのみ現政策はうまくいくとの見解を示した。

  野村証券の美和卓チーフエコノミストは1月20日付のリポートで、トランプ米大統領に代表されるように、「昨今、グローバルな財政拡張機運が高まっている」と指摘。こうした流れを踏まえると、「今後、日本政府がFTPLのロジックをバックボーンとした財政拡張路線に舵(かじ)を切る可能性は、あながち否定できないだろう」とみる。

教え子も恩師の理論に疑問

  もっとも、シムズ氏の理論が日本で機能するかどうかには疑問の声もある。福田慎一東大教授は2月6日に野村総研が開いた討論会で、「FTPLはブラジルやメキシコといった財政が危機的状況にある国には妥当するが、先進国にはあてはまらない」と指摘した。

  イエール大学時代の教え子である一橋大学の塩路悦朗教授は、消費増税は14年11月と16年6月の2度にわたり延期されており、日本の財政状況は「民間の目からみると、よりFTPL的な世界に経済が入り込んでいると認識されても不思議ではないが、その時の経済の状況を見てみると、14年も16年も、国債金利も物価も反応しなかった」と指摘する。

  その上で、「ちょうど2%になるまでわれわれは無責任に行動するが、そこから先は元に戻しますと、限定的に無責任に行動するということが、可能なのか」と述べ、恩師であるシムズ教授の理論に疑問を呈した。美和氏も「仮にそれが、野放図な財政拡張につながっていった場合、究極的にはインフレを制御できなくなるリスクが存在している」と指摘している。

  みずほ証券の上野泰也チーフマーケットエコノミストは2月9日付のリポートで、「足元で各種社会保険料負担の増大が意識され続けているほか、日本の社会保障システムそのものにまつわる将来不安は容易にぬぐい去れるものではない」と指摘。その意味からも、シムズ氏の「物価水準の財政理論」は「日本の現実の状況に全くそぐわない」との見方を示した。

  「求められてもないアドバイスをしたいとは思わないが、耳を傾けたい人がいれば、喜んで日本を再訪して話したい」。シムズ氏はそう語った。

    最新の情報は、ブルームバーグ端末にて提供中
    LEARN MORE