漫画アシスタントの佐藤さんも、人々をタンス預金に駆り立てる訳とは

更新日時
  • 第一生命研はタンス預金を約40兆円と推計
  • 3月の金庫の販売個数は2011年3月以降で最高を記録

東京近郊で漫画家アシスタントを務める30代の佐藤智美さん。1月末の日本銀行によるマイナス金利政策導入の発表を知り、万が一の事を考えて資産の半分を占める預金の1割を引き出した。その一部は今も、「タンス預金」のままだ。

  「昔あったと聞いたことがある預金封鎖や取り付け騒ぎがあったらどうしようと一瞬だけ不安になった。皆ざわざわしていた」。FXトレードの入門書を漫画で手掛けたこともある佐藤さんは、日銀が導入に踏み切ったマイナス金利政策の印象をこう振り返った。今でも「東京五輪に向けた盛り上がりがあまり感じられず、日本経済が良くなるイメージがない」とし、マイナス金利下で「長い目で見れば、口座管理手数料まで取られるような気がする」と言う。   

  家計の心理を示す消費者態度指数は4月に40.8と前月より0.9ポイント低下し、日銀の黒田東彦総裁が異次元緩和を導入した2013年4月以降の平均を下回った。消費者の景況感が悪化する中でも、お札(日銀券)の発行残高は顕著に増加している。4月の月中平均は95兆6074億円と前年比で6.8%増加し、国内金融不安が高まった03年2月以来の高い伸びとなった。一方、硬貨は0.9%増の4兆6696億円。お札は硬貨の20.5倍と統計でさかのぼれる1971年以降で最も差をつけ、タンス預金の増加を示唆している。

Safes for sale

Photographer: Shigeki Nozawa/Bloomberg

  第一生命経済研究所の推計によれば、日常の決済に必要な手元のお金を除いた純粋な保蔵目的のタンス預金は40兆円程度に上る。名目国内総生産(GDP)の約8%に当たる現金が、日本経済に貢献することなく眠っている。

  熊野英生首席エコノミストは、タンス預金は「広義のゼロ金利政策が続く限り、時間の経過とともに増えていく」とみる。その上、相続税の課税強化やマイナンバー施行、マイナス金利導入などが「人々の不安による保蔵動機を通じた増加要因になっている」と指摘。富裕層を中心に「消費増税を再延期すると、財源の埋め合わせとして資産課税が強化されるとの懸念も根強い」と言う。

  こうした中、タンス預金を保管できる金庫の売れ行きが好調だ。経済産業省の統計によると、金属製耐火金庫の販売個数は3月に1万8919台とデータでさかのぼれる2011年3月以降で最高を記録。前年比85.6%増と直近4年間で2番目に高い伸びだった。生産は5933台で48.5%増えたが追い付かず、在庫は3割減って9064台と過去最低。販売金額は11%増で、単価の安い小型商品が特に好調だったようだ。

  金庫メーカー、エーコーの企画開発部の田谷一仁部長は、金庫の売り上げは「過去に例を見ない、驚くほどの」伸び率だと話す。家庭では従来からの主な保管対象は土地の権利書や有価証券などで、東日本大震災の津波で流された金庫の約8割には現金は入っていなかったと指摘。しかし、最近ではマイナス金利の導入で「お札などを小分けにして収納する需要が高まり、急きょ商品を投入して販促をかけている」と言う。

  家電量販店ビックカメラの有楽町店は今年に入り、来店客の目に付きやすい4階のエスカレーター付近に販売促進コーナーを設け、売り場の展示台数も小型の手提げ型を中心に増やした。1月施行のマイナンバー制度にマイナス金利政策も加わり、タンス預金が増えると読んだからだ。同店で金庫売り場を担当する服部弘明氏は、最近は金庫の内部に複数の引き出しがある家庭用商品の人気が高いと説明する。

1万円札の伸びとタンス預金

  金庫メーカーなどで構成する日本セーフ・ファニチュア協同組合連合会の中村文雄事務局長によれば、このところの金庫の売れ行きは前年比で数十%の伸び。「主に家庭で使われる小型の金庫が多い。マイナンバー制度の施行やマイナス金利の導入で、現金を手元に置いておこうという需要が増えている。金庫は防盗性能が大事なので、頑丈な商品が望ましいと勧めている」と言う。

  日銀の統計によると、1万円札の発行残高は4月末に89兆6563億円と、お札全体の9割を占め、前年比7.2%増と03年2月以来の高い伸び。一方、千円札は4兆28億円で2.1%増にとどまった。

  第一生命経済研の熊野氏は、お札の発行残高の内訳で「もっぱら1万円札が伸びているのも、タンス預金増の現れだ。決済需要だけなら千円札とほぼ同じ伸びになるはずだ」と指摘。伸び率の乖離(かいり)は保蔵動機が原因で、タンス預金の増加につながっていると読む。

  日銀は2%の物価目標を達成するため、国債を大量に購入する量的・質的緩和を13年4月に導入した。14年10月末の追加緩和では国債の保有を増やすペースを年80兆円に拡大し、16年1月末には金融機関が日銀に預ける当座預金の一部にマイナス0.1%の金利を適用することを決めるなど、市場金利全体を過去に例を見ない水準に押し下げている。

  長期金利の指標となる新発10年物国債利回りは3月にマイナス0.135%と過去最低を記録。国債発行残高の約8割に当たる残存年数13年程度までの利回りがゼロ%を下回っている。それでも肝心のインフレ率はゼロ%前後で低迷。ブルームバーグが市場関係者から集計した今年末の予想値は0.1%にとどまっている。

「弾切れ感」で動けず

  日銀の生活意識に関する四半期ごとのアンケート調査(2月5日~3月3日)によると、物価が1年前より上がったとみる個人は70.5%と前回より8.3ポイント低下。1年後は現在より上がるとの回答は1.9ポイント低い75.7%だった。物価の上昇は「どちらかと言えば、困ったことだ」との見方が83.9%と12月調査より1.5ポイント上昇した。

  厚生労働省の毎月勤労統計によれば、正社員やパートの所定内給与は3月に前年比0.6%増加。昨年初め以降で減少したのは今年1月だけだが、1%以上増えたのも日本経済が金融危機とデフレに陥った1997年が最後だ。総務省の家計調査では、全世帯の実質消費支出は3月に前年比5.3%減と1年ぶりの悪さとなり、この日発表のあった4月も0.4%減と低迷が続いている。

  第一生命経済研の熊野氏は、タンス預金の積み上がりは「人々のデフレ心理が根強く、リスクに対して敏感になっている状況の表れだ」と分析。仮に40兆円ものタンス預金が銀行に戻っていたら「銀行はもっと業容を拡大できていたはずだ。日本経済の活性化を促す一方、国債市場への資金流入も増えていた可能性がある」と述べた。

  円相場は第2次安倍晋三内閣の発足前月に当たる2012年11月には1ドル=80円前後だったが、昨年6月には125円86銭と13年ぶりの安値を記録。日経平均株価は8600円台から2万1000円弱へ上昇する場面もあった。しかし、昨夏以降は世界経済の減速や金融市場の混乱が相場を反転させている。円は今月3日に105円55銭、日経平均は2月に1万5000円割れと、ともに14年10月以来の水準に後退していた。

  金融庁によると、NISA(少額投資非課税制度)の口座開設数は昨年末に987.6万件。前年比増加率は19.7%で14年の3分の1未満に鈍化した。20歳代と30歳代の口座数は60歳代以上の4分の1強にとどまる。昨年中に一度でも投資の実績があった口座は全体の46.6%で、制度導入の初年度だった前年の45.5%から小幅な改善にとどまった。

  漫画アシスタントの佐藤さんは、アベノミクスは「過去の言葉になりつつある感じがする。これ以上、何か良くなる材料が見えない」と言う。投資環境としても「アベノミクス相場には弾切れ感があり、動けない理由になっている」と説明。「絶望的な不安はないが、若い世代が希望を持てていない」と語った。

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