熊本地震、孤立する南阿蘇村-奮闘する学生ボランティアの涙

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「ありがとうございました。また必ず戻ります」-。涙ながらに学生ボランティアたちは避難所仲間の住民に別れのあいさつをした。東海大学3年生の松村知毅さん(20)は19日、心配する両親が待つ実家に帰った。自らも被災しながらボランティアとして荷物の運搬や炊き出しの手伝いに走り回った3日間だった。

  16日に日付が変わりちょうど寝付いた頃、震度6強の揺れに襲われた。下宿先の熊本県南阿蘇村の2階建てアパ-ト2階の自室にいた松村さんは割れた窓から外に出ようとして、1階部分がつぶれていることに気づいた。助けを求める声ががれきの下から聞こえる。明かりがない中、生き埋めになった友人を懐中電灯と携帯電話のライトを頼りにがれきと割れガラスをかき分けて引きずり出した。消防隊員が到着したのは夜が明けてからだった。

Tomoki Matsumura

Photographer: Monami Yui/Bloomberg

  東海大学農学部は阿蘇の自然を生かした広大なキャンパスで動物を飼育したりバイオ技術を学べるというのが触れ込みだった。農学部には約1000人が在籍していたが、3人が死亡、36人が負傷した。普段はバスケットボールの練習に使われた体育館は住民の避難所となり、ブルーシートが敷かれ、実家に戻れなかった学生も身を寄せた。年配者が中心の避難所で、そうした学生がボランティアとして動き始めたのは自然な流れだった。

  「初めは自分も早く実家に帰りたかった」と松村さんは話す。物資の手配や運搬を担当し、日中動き回っているときは気が張っていた。夜になると、大きな地震が襲っても外に飛び出せるよう座ったまま毛布にくるまった。悔しさや悲しさがこみ上げ、眠れなかった。

長引く避難生活

  東海大学のキャンパスがある黒川地区の役員、久保清登さん(52)によると、同避難所では当初500人ほどが夜を過ごしたが、学生が次々に実家に戻るなどして約120人まで減った。初日となった16日には何も物資が届かなかったが、17日から自衛隊のヘリコプターが米やバナナ、毛布などを運んできた。食事も3度支給されるようになった。改善はされているが、不便なのは変わらない。

  久保さんは「何が困るって全部ですよ。普通の生活じゃないんだから」と話す。避難生活が長引くにつれ、特に女性の間で入浴できないことが問題になっているという。

  会社員の市原拓也さん(29)は、自宅が地震で傾き、いったんは家族で避難所に移った。しかし夜は自家用車の中で過ごすことにした。生後2週間の長女、杏ちゃんと1歳の長男、伊央利くんが夜泣きをし、周りの目が気になるのが理由だ。しばらく妻と子供を離れた親戚の家に預けることも考えているという。「仮設住宅ができれば、早く入りたい」と話した。

  県災害対策本部は20日、熊本地震で47人が死亡、避難生活などでの身体的負担による疾病により死亡したと思われる人数が11人に上ると発表した。合計で58人となる。南阿蘇村での死者数は13人、行方不明者は4人としている。

孤立する村

  南阿蘇村では周囲の山々が崩れ、家屋が埋まり、道路が寸断された。東海大学の門前にある熊本市と南阿蘇村をつなぐ阿蘇大橋も崩落。東海大学に避難する学生や住民は孤立した。

A damaged dormitory at Tokai University.

Photographer: Emi Urabe/Bloomberg

  大学警備員の鞭馬哲昭さんは校舎の巡回中にマグニチュード7.3の地震に襲われた。直後に同僚とキャンパス内を見て回ると、敷地横の学生寮が倒壊しているのが見えた。学生同士が助け合って引っ張り出していたという。

  キャンパスの外では行方不明者の捜索が続く。南阿蘇村で活動する自衛隊員によると、同隊員の所属部隊は16日から現地入りし、土石流に埋まった人の捜索を始めたが、当初は手作業だった。重機が入った18日からペースが上がり、19日夜からは24時間態勢で捜索を行うという。隊員は匿名を条件に取材に応じた。

「手伝いに戻りたい」

  久保さんらは周囲からのアクセスのいい近くの小学校に避難所を移すことを決めた。仮設住宅を建設する話もあるが、あくまで望むのは「普通の生活」と話す。「でも一日二日でできることじゃない。年単位でかかるんでしょうね」と述べた。

  キャンパス近くのアパート2階に住んでいた財津宏幸さん(21)は畜産を学ぼうと東海大学に入学した。16日に地震に見舞われた際、ロフトで寝ていたが、揺れが収まって室内を見渡すと、リビングの床が抜けていたという。体育館で避難生活の傍らボランティアとして炊き出しなどを手伝ったが、19日に実家のある熊本市へ帰った。

  最後まで残った学生10人のボランティアグループは19日で解散。財津さんは避難所で使われていた毛布などの物資を片付けながら「これからどうなるかわからないが、いったん帰って、また手伝いに戻ってきたい」と話した。

(第8段落に人的被害を加えます.)
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