米連邦準備制度理事会(FRB)の歴代4人の議長が7日、ニューヨークで開かれる討論会に勢ぞろいする。

  ニューヨーク時間同日午後5時半(日本時間8日午前6時半)にインターナショナル・ハウスで開かれる討論会には、2014年に初の女性FRB議長に就任した現職のジャネット・イエレン氏とベン・バーナンキ前議長、アラン・グリーンスパン、ポール・ボルカー両元議長が出席する。現・旧議長4人がそろって公式の場に登場するのは今回が初めて。

  米利上げのタイミングの手掛かりを探そうとするなら、恐らく期待外れに終わるだろう。FRB議長経験者は公開討論会の場で現職に対し政策助言を行うことを避ける傾向がある。むしろこのイベントは、100年の歴史を持つFRBの変遷と1979年以降のFRB議長経験者の視点を垣間見る場だ。

  1990年台半ばにFRB副議長を務めた経歴を持つプリンストン大学のアラン・ブラインダー教授は、「4人の現・旧議長を通じて、FRBがボルカー時代の初め以降、どう変化してきたのか、恐らく極めて興味深く振り返ることになろう」と述べ、「FRBはかなり劇的に変わった」と指摘した。

  ボルカー氏は1979年8月の就任直後、戦後最悪の水準に向かっていたインフレとの闘いを宣言。政策金利を20%に引き上げ、経済的衝撃で失業率は30年代以来見られなかった水準に上昇。融資を得られない農業従事者が怒りをあらわにワシントンの通りをトラクターで封鎖する事態も発生した。その後、ボルカー氏の積極的な対策を受けてインフレ率は20年ぶりの水準に低下した。

  グリーンスパン氏は19年間にわたる在任期間中、FRBによる経済危機対策のかじ取りを担った。1987年8月の就任からわずか2カ月後に株価が暴落し、これを引き金とした危機に見舞われた。現在では任期終盤に取った政策の方が大きな物議を醸しており、米同時多発テロを受けて低金利政策を長期化させたことが、退任後数カ月で表面化したサブプライム(信用力の低い個人向け)住宅ローン危機の一因だとの批判もある。

  米金融政策が最も大きく変化したのは、2008年のリーマン・ブラザーズ・ホールディングス経営破綻を引き金とするリセッション(景気後退)下でFRBを率いたバーナンキ前議長の時代だ。政策金利がゼロ付近にあったことから、FRBは幅広い手段を取らざるを得なくなった。また、当局の意思決定プロセスに関する情報開示を拡充し、透明性を高めた。

  バーナンキ氏がイエレン氏にバトンを渡した14年には、インフレ率と失業率は緩やかな改善の軌道に乗っていたことから、FRBは危機に対応した政策からの出口を目指し始めた。ただ、イエレン現議長にとって簡単な課題ではなく、利上げ開始にはほぼ2年を要した。米国の経済的ハードルに対するイエレン議長のスタンスは十分裏付けのあるもので、議長は向こう数年の利上げが漸進的なペースにとどまると予想している。前任者らの判断はあまり知られておらず、討論会の後でさえ隠されたままとなるかもしれない。  

  ブラインダー氏いわく、「3人が1人を出し抜くことはない。FRB議長は常に1人だけだ」。

原題:Fed Chairs Since 1979 Offer Peek Into Central-Bank Philosophy(抜粋)

最新の情報は、ブルームバーグ端末にて提供中 LEARN MORE