短期の株安に怯まず、運用実務型「本の虫」-高橋GPIF理事長

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  • 世界最強銀行2位の農林中金出身、長野県出身ながら魚に詳しい面も
  • 短期的な流動性を気にする必要はないが、国民の意識という制約

年金積立金管理運用独立行政法人(GPIF)の新理事長に、農林中央金庫出身の高橋則広氏が就任した。山あり谷ありの金融資産の運用を実際に経験したことのある実務型の理事長の誕生だ。「本の虫」を自認し、若いころの漁業協同組合詣でのおかげで海のない長野県出身ながら魚に詳しい面もある。

  高橋氏(58)は1日の就任会見で、運用資産140兆円弱を抱える公的年金基金、GPIFの理事長に起用されたことについて、「部長、役員になってからも運用の仕事が長かった」ことが背景ではないかと語った。同氏が約9カ月前まで専務理事を務めていた農林中金は、運用資産64兆円の国内有数の機関投資家。農林中金はブルームバーグ・マーケッツ誌が選ぶ「世界の最強銀行」年次ランキングで、昨年まで2年連続2位だった。

  「農中時代の経験がそのまま役に立つとは思っていない」と断りながらも、GPIFでも収益の「短期的な変動は避けられない」と指摘。さまざまな資産をうまく組み合わせた分散投資で「長期的な観点に立って適切なリスク管理をすれば、相応のリターンを得られ、安全でかつ効率的な運用ができる」と自信をのぞかせた。

  GPIFの初代理事長の川瀬隆弘氏と3月末付で退任した三谷隆博氏はともに元日銀理事だった。川瀬氏はリーマンショック前の世界的な信用バブル期に、国内債券中心の慎重な運用姿勢を貫いた。三谷氏は安倍晋三内閣がデフレ脱却と経済活性化を掲げる中で14年10月末に資産構成を抜本的に見直し、リスク資産増にかじを切った。

  クレディ・アグリコル証券の尾形和彦チーフエコノミストは、足元では株安・円高の「逆風が吹いているが、日銀のマイナス金利政策で国債利回りはマイナス圏だ。年金制度を支える意味でも、リスクを取って絶対リターンを高める方向性は間違っていない」と指摘。「巨大な金融機関の運用責任者だった高橋氏には政府サイドの期待感も強いとみられ、オルタナティブの拡大など運用の進化、深化の好機だ」と述べた。

国民の意識という制約

  GPIFは、名目賃金上昇率を1.7ポイント上回る運用利回りを長期的に確保する責務を負う。現在の資産構成の目標値は、株式と債券が半々で、国内資産6割・外貨建て資産4割という分散型だ。価格変動を示す標準偏差は全体で12.8%と、全額を国内債で運用する場合の3倍弱となっている。

  高橋氏は会見で「長期の利益を長期の投資で取るには、組織体も長期の運用に耐えられないといけない。ほとんどの運用機関は一発当てようと短期的な利益を追っている」と指摘。優秀な人材で2-3年だけ集中的に儲けるのは可能だが「10-20年にわたってリターンを得るには相応の人間力と組織力」が必要だと述べ、GPIFの運用は「そこを目指さないと展望が開けない」と語った。

  TOPIXは安倍内閣が発足した12年12月から15年8月に付けた約8年ぶり高値まで2倍超の上昇を記録した。その後は上値の重い展開となり、今年2月には14年10月以来の安値を付けている。円相場は1ドル=84円台から15年6月に13年ぶり安値125円86銭まで下げて以降、基調を徐々に変え、3月には14年10月末以来の円高値を付けた。昨年8-9月と今年初から生じた世界的な市場の混乱は、GPIFが保有する日本株と外貨建て資産の評価額を急減させた。

  GPIFの運用資産に年金特会の約2.1兆円を含めた積立金全体に占める国内債の割合は昨年末に約38%、国内株は23%、外国債券は14%、外国株式は23%だった。農林中金の昨年9月末時点の市場運用資産は、23%が国内債、44%が外債、3%が国内株、2%が外株。通貨別ではドル建てが57%、ユーロが14%、円資産は28%だ。A格以上の資産が9割超を占めた。

  高橋氏は会見で、農林中金では運用の自由度は高かったが、1年程度の預金という負債側のデュレーションに対応する流動性の確保が必要だったため、実質的には銀行勘定で自由な投資はできないと説明。一方、GPIFでは負債側は短期的な流動性を気にする必要はないが、運用多様化に対する国民の意識が事実上の制約だと指摘。「運用には必ず制約がある」としながらも、「国民から信頼される組織にならなくてはならない」と話した。 

情報開示が重要

  米サブプライム(信用力が低い個人向け)住宅ローン問題の表面化で市場の動揺が始まっていた07年10月。農林中金は米欧の資産担保証券(ABS)の押し目買いで残高を過去最高の7兆円超まで積み上げる考えを示すなど、リスク資産の積極運用で臨んでいた。

  しかし、リーマンショックなどを背景に有価証券評価損は08年9月末に1.57兆円まで膨らみ、09年3月期の連結純損益は5721億円の赤字に転落。1.9兆円の資本増強に追い込まれ、当時の理事長と運用担当の専務理事は責任を取って退任した。09-12年度の中期計画では慎重な財務運営に方針転換した。

  14年度は連結純利益を4113億円計上。国債を含めた国内外の高格付け債での運用が効を奏した。リスク加重資産額に対する中核的自己資本(Tier1)比率は17.6%で、ブルームバーグ・マーケッツ誌の「世界の最強銀行」年次ランキングでは、質の高い資本の項目で5位となった。

  高橋氏はこの間、増資や運用見直しなどに手腕を発揮。14年に2位に選ばれた際のインタビューでは、農林中金は金融危機を経験したことで、市場環境にとても敏感になったと説明。自己資本比率は世界でトップクラスの銀行勢をやや上回る水準に維持したいと語った。

  1日の会見では、当時の運用見直しは預金の状況などを考慮して「一番良い方法でアセットミックスを考えて投資しただけだ」と謙遜する一方、それまでは農協や漁協の組合員に「運用内容をきちんと知らせていなかった」と指摘。何より一番大きいのは「組合員との信頼関係だ。信頼関係を支えるのは情報開示だ」と述べた。


「本の匂いが好き」

  高橋氏は就任会見で、自身の趣味を「本屋に行くこと、本の匂いが好きだ」と述べ、店内の販促物や本の並べ方など個性豊かな書店を訪れる時が「至福の幸せ」だと語った。理事長就任で難しくなるかもしれないが「なるべくそういう時間を作りたい」と言う。3月7日付の日刊工業新聞によると、本好きになったきっかけは著名な哲学者カール・ポパー氏の「開かれた社会とその敵」で、バートランド・ラッセルなど哲学関連の本を多く読んだ。

  著名投資家ジョージ・ソロス氏は著作で、言論・思想の自由や多様性、民主主義を肯定したポパー氏の「開かれた社会とその敵」を読んで、雷に打たれたような衝撃を受け、たちまち信奉者になったと告白。科学的法則の真性は完全には証明され得ず、人間は間違える可能性があると説くポパー氏の影響を受け、金融市場での成功をもたらした「再帰性」理論に至ったと言う。

  日銀の黒田総裁も科学的な方法論を探求したポパー氏の影響を受けた一人だ。13年5月開催の国際コンファランスでの挨拶には、真理の探求には「試行錯誤の方法より合理的な方法はない」というポパー氏の言葉を引用。「経済学は危機の度に試行錯誤を繰り返し、新しい知見を蓄積してきた」と指摘し、国際金融システムの再建という大変な課題に「これまで繰り返してきた試行錯誤は必ずや重要な示唆を与える」と述べた。

  ソロス氏や黒田総裁らと共通する哲学者から影響を受けた高橋氏は、公的年金制度の持続可能性をも左右するGPIFの資産運用で結果を求められる。1日の会見では、「年金加入者の利益に少しでも資するように受託者として頑張りたい」と言い、「短期的にはいろいろと言われるが、最終的に安全で効率的な運用をしていくことが国民の納得につながる」と語った。

(第16段以降を追加して更新します.)
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