歴史にもまれた89歳実業家、「長生き理想郷」を世界に広げる

莫大な資産を一代で築き上げた実業 家ロバート・クオック氏は、1971年に高級ホテル事業を起こし、ジェー ムズ・ヒルトンの小説に描かれた誰もが信じられないほど長生きする架 空の理想郷にちなんで「シャングリ・ラ」と命名した。香港のビクトリ ア湾を一望でき、マレーシアのラーマン初代首相から贈られた一対の象 牙が飾られた32階の重役室でくつろぐクオック氏自身もまるで年を取る ことを忘れたかのように若々しい。

世界富豪ランキング38位のクオック氏は89歳ながら、ほっそりとし て背筋が伸び、きびきびとしている。ブルームバーグ・ビリオネア指数 によると、同氏の1月31日現在の資産額は194億ドル(約1兆7800億 円)だが、これで満足する様子は見られない。ブルームバーグ・マーケ ッツ誌3月号が報じている。

マレーシア生まれのクオック氏は今年も各地に「シャングリ・ラ」 をオープンする計画で、総数は71に達する見込み。7-9月だけでも6 カ所で開業し、西ヨーロッパで最も高いロンドンの72階建て超高層ビル 「シャード」にもオープンする。

中国からの移民の子供である同氏のファミリーが経営権を握る上 場・非上場企業は引き続き、中国に資金を投じている。投資分野は、北 京で一番高いビルから食用油まで多岐にわたっており、同氏の食用油ブ ランドは人口世界一の中国で50%の市場シェアを誇る。

アジアで最も影響力ある英字紙も

クオック氏の企業の1つであるシンガポール上場のウィルマー・イ ンターナショナルは、世界最大のパーム油加工業者であり、粗糖生産で も8位にランクされる。そのほか同氏の企業は、輸出や物流関係の会社 などパリからシドニーまで世界各地に点在し、アジアで最も影響力のあ る英字紙である香港のサウスチャイナ・モーニング・ポスト (SCMP)もその1社だ。プライベートエクイティ(PE、未公開 株)投資会社、米TPGキャピタルのシニアパートナーで、クオック氏 のホテル部門、シャングリ・ラ・アジアのディレクターを務めるティモ シー・ダッテル氏はクオック氏について、「精力にあふれ活動的であ り、依然パワフルだ」とした上で、「クオック氏がトップにいない状態 を想像できない」と述べた。

しかし現実には、今年10月に90歳の誕生日を迎えるクオック氏の後 継者問題は次第に注目を集め始めている。ファミリーが保有する非上場 の持ち株会社ケリー・グループを通じて同氏は、時価総額約400億ドル の上場企業を支配する。だが昨年、これらファミリー企業の一部が株価 急落と減益に見舞われ、現在は回復に努めている。

8人の子供と多くの親族をファミリー企業の要所に起用しているク オック氏は、自分が第一線を退いた後について心配していないという。 「地上のあらゆるものはダイナミックだ」と述べ、「私が子供たちに与 えられる唯一のものはメッセージであり、金ではない。子供たちがそれ に従えば、さらに3、4世代は続くだろう」と、欧米メディアによるも のとしては約16年ぶりとなるインタビューで語った。

クオック氏の企業の株主らの間では、ケリー・プロパティーズを率 いる長男が最有力の後継候補とされている。

生まれつきの才能

しかし不動産投資を手掛ける香港のポートウッド・キャピタルの創 設者、ピーター・チャーチャウス氏は、この長男について「私は彼を知 っている。良いチームを持っている」としながらも、「子供や孫たちが クオック氏のような起業と取引の才能を生まれつき持ち合わせているか 疑わざるを得ない」と指摘した。

クオック氏の才能は、歴史の荒波にもまれ苦労する中で磨かれたも のだ。イギリス植民地時代のマレーシアに中国から移住してきた両親の 元に生まれた同氏は成長する中で、両親の出身地である中国・福建省福 州地方の方言や英語も話せるようになり、日本統治時代には日本語も覚 えた。さらに母親から自分のルーツを大切にし、北京語を流暢(りゅう ちょう)に話せるようになりなさいと言われたことが、後の中国とのビ ジネスに最も役立つことになった。

両親はコメや砂糖、小麦粉などを売る食料品店を営んでいた。クオ ック氏は、アヘン中毒だった父が吸うパイプの匂いを今でも鮮明に覚え ているという。両親の支援でシンガポールのラッフルズ・カレッジに進 学。学友の中には後にシンガポールの初代首相となったリー・クアンユ ー氏がいた。

兄弟で起業

日本統治時代が終わり、父親が亡くなった後の1949年に兄弟らとク オック・ブラザーズ社を設立。同社は後に精糖業に特化した。その後、 クオック氏は英語を生かし、ロンドンを幾度も訪れては砂糖ビジネスを 学んだ。やがて同氏は拠点をマレーシアからシンガポールに移した。冷 戦時代、クオック氏は東西両陣営とビジネスを展開。毛沢東・中国国家 主席(当時)とは1959年からビジネスを行うようになった。

文化大革命の嵐が吹き荒れた1973年、クオック氏は香港に呼ばれ、 毛指導部の貿易担当高官2人と内密に会談。中国が砂糖不足に直面して いることを知った。クオック氏はこの好機を逃さず、その年に本社を香 港に移した。

先見の明

これは先見の明がある決断だった。76年に毛沢東氏が死去。78年に は鄧小平氏が改革・開放路線を打ち出し、その後34年間にわたる高成長 に道を開いた。84年には中国本土初の「シャングリ・ラ」をオープン。 翌年には北京の中国国際貿易センターの建設に向け中国外務省と協力し た。88年、おいの助言に従い、食用油事業に進出。またコカ・コーラが クオック氏の中国との強いつながりに注目し、瓶詰めの合弁会社を93年 までに設立した。その後、コカ・コーラは2008年に同社を完全子会社 化。買収額は明らかにしていないが、両社ともこの取引は成功だったと 表明している。

TPGキャピタルのダッテル氏は、クオック氏の会社については後 継者問題は懸念材料ではないと話す。「ロバート・クオック氏のワンマ ン会社だということは疑いない。しかし彼は自分のビジネス哲学を親族 に叩き込んだ。何が起ころうと、彼らはクオック氏の築き上げたものを 維持するだろう」。

原題:Kuok Says With Right Heir His Empire Can Last ‘Four Generations’(抜粋)

--取材協力:Shiyin Chen、Haslinda Amin、Netty Ismail.