ムエタイデビューのトレーダー、リスク取る時代を懐かしむ

ショーン・ジョージ氏は米ニューヨ ーク市のマンハッタンにあるセントポール12使徒教会でひざまずいてい る。祈っているわけではない。右の眉の切り傷からの出血が目に入り鼻 まで滴り落ちた。そして、膝が崩れ下半身が床に倒れ込んだ。

ジェフリーズ・グループでクレジットデリバティブ取引責任者を務 めるジョージ氏(39)は6月22日、この教会でムエタイのデビュー戦を 戦った。ムエタイでは足で蹴るほか肘や膝での攻撃が可能だ。判定負け するまでの間にジョージ氏の目は膨れ上がりふさがってしまった。それ は、1年中で最も幸福を感じた瞬間だったと、同氏は言う。

「仕事では現在、以前よりリスクを伴う決断をすることが少ない。 そして、リスクを負うことを楽しんでいる」。ジョージ氏は昨年ジェフ リーズに入社する前、ドイツ銀行の投資格級クレジット・デフォルト・ スワップ(CDS)取引の責任者を務めていた。インタビューで「ゲー ムとして戦っていると、ゲームはやがて終わり戦いも終わる」と語る。

ウォール街の金融機関は、数十億ドルの借り入れ資金を数十年前に は存在していなかった規制の緩い金融商品に投資していた。そして、報 酬と利益は約5年前、過去最高水準に達した。現職と以前勤務していた バンカーやトレーダー20人以上へのインタビューによると、金融システ ムが2008年にほぼ崩壊し、代わりに規制強化と不安感が広がり始めた後 も、高まる興奮と報酬はとどまるところを知らなかった。

ジョージ氏など一部のバンカーたちは、規制のより緩い仕事にやり がいを見いだしている。米JPモルガン・チェースが少なくとも58億ド ル(約4500億円)の損失につながった取引について調査され、ゴールド マン・サックス・グループの1-6月(上期)の収入がロイド・ブラン クファイン氏が最高経営責任者(CEO)に就任する06年より前以降で 最悪となり、英バークレイズはロンドン銀行間取引金利(LIBOR) 操作問題で2億9000万ポンド(約350億円)の制裁金を科された。その 中で苦闘している者もいる。

「魅力を感じない」

銀行業界は世界金融危機の再来阻止に向けた新たな規制に直面して いる。自己勘定取引は制限され、資本金の引き上げが義務付けられ、リ ターン(投資収益率)を向上させるために借り入れ資金を利用するのは 困難になっている。欧州のソブリン債危機が深刻化し米国と中国の経済 成長は鈍化。顧客企業はウォール街の利益押し上げにつながるような取 引に及び腰になっている。

クレディ・スイス・グループとベアー・スターンズで自己勘定によ る債券の裁定取引のポートフォリオを運用していたイーサン・ガーバー 氏(45)は「魅力を感じないし楽しくもない。知的好奇心もそそられな い」と指摘。「ここ4年間残留していた友人の多くも今では全員解雇さ れている」と語る。同氏は現在、トラックの休憩所で電力を供給するア イドルエアー(テネシー州)のCEOを務めている。

途方もない権力

ウォール街の主要5行であるJPモルガン、バンク・オブ・アメリ カ(BOA)、シティグループ、ゴールドマン、モルガン・スタンレー の1-6月の収入は08年以降で最低水準となった。株価は過去1年間に 平均33%下落。S&P500金融株指数を構成する81社全体の約4倍の下 落率を示している。

報酬コンサルタント会社ジョンソン・アソシエーツのリポートによ ると、主要な商業銀行と投資銀行の賞与は昨年、20%から40%以上減少 した。

ジョージ氏によると、自身や尊敬する同僚たちをウォール街に引き 付けたのはリスクだ。ピーク時には1カ月間に数百万ドルの利益を上げ ることができた。トレーディングがあまりに緊迫していたためCDSの 取引で電話をデスクに投げ付けた際、壊れた部品が3列離れたデスクま で飛んで行ったこともある。同氏は「最長記録を更新した」と振り返 る。

BOAとヘッジファンドのキング・ストリート・キャピタル・マネ ジメント(ニューヨーク)でクレジットデリバティブを取引していたサ ム・ポーク氏(32)は、ウォール街の魅力をこう表現した。

「大学を卒業して3年後の20代のトレーダーが、いつでも好きな日 にどんなレストランやクラブ、野球の試合にも行くことができ、料金は 全て支払われていた。途方もない権力を手に入れた気分だった」。ポー ク氏は10年にウォール街を去った。

過去には戻れない

ラトガース大学のユージン・ホワイト教授(経済学)は「バンカー たちが現在抱いている不満は理解できるが、大きなリスクを取っていた 時代に戻ることはできない。リスクを取って利益を得る個人がいる一方 で、賭けが失敗すればその代償は社会が支払うことになる」と指摘す る。

米金融安定化プログラム(TARP)を管轄する特別監察官を務め たニール・バロフスキ氏は、バンカーたちは自分たちに最良のことが他 人にとってもそうだと勘違いすることがあると指摘。ウォール街の過度 のリスクと報酬を制限するのは米国にとって非常に良いことであるのは 疑いの余地がないと語る。

ゴールドマンの報酬費用は減少しているものの、同行が1-6月に 従業員に支払った額の平均は22万5789ドルと、ニューヨーク市の消防士 の初任給年収の5倍に相当する。米国の失業率は41カ月連続で8%を上 回っている。

原題:Bloodied Trader Yearns for Bygone Risks as Wall Street Retreats(抜粋)

--取材協力:Lisa Abramowicz、Zachary R. Mider、Michael J. Moore、Christine Harper.