福島・南相馬:離散150人が再会へ-希望と絶望の狭間で生きる

福島県南相馬市の北萱浜で13日、津 波や原発被害で離散した村人150人が再会する。津波から人々を守った と言われる白狐の石像がある稲荷神社に慰霊碑が完成、式典を開催し犠 牲者の冥福と村の復興を祈願する。再生に歩き出した北萱浜。しかし、 生活は依然厳しく、不安と絶望が見え隠れしている。

慰霊祭に参列する予定の木幡好身さん(70)、美和子さん(67)夫 妻は、離れて暮らす息子夫婦と3人の孫に再会するのが楽しみだ。地震 発生時は「津波が来た、逃げろ」との声で車に飛び乗り、高台に逃げ生 き延びた。しかし、家は全壊し、畑(1200坪)はがれきと海水で埋まっ た。避難所5カ所を転々とした後、ようやく8月に鹿島区にある四畳半 2間の木造仮設住宅に入居できた。

震災前は大工だった好身さん。震災で夫婦の生活は一変した。現在 の月収は年金の10万円。5月1日の朝食は、米、海苔(のり)、梅干し にジャガイモとニンジンの煮物だった。1日に炊く米は夫婦合わせて2 合。質素な暮らしの中で、好身さんの唯一の楽しみは晩酌で味わう25度 の芋焼酎「いいちこ」。美和子さんはバナナ牛乳ジュースだ。「孫の誕 生日にはじいちゃん、ばあちゃんらしくプレゼントを届けてあげたいの だが」と夫妻は話す。

さまざまな人生

北萱浜の住人は現在30世帯、約60人。震災前は約450人いた。慰霊 碑の建立に伴う費用は総額106万円で、町の消防団や建設業界関係者な どに今でも寄付を呼び掛けている。幅1メートル、高さ3メートル、厚 さ50センチのその黒い石には、亡くなった人の霊を慰め鎮め、当時の様 子を後世に伝えるため、次のような文言が記されている。

「2011年3月11日、午後2時46分、宮城県沖を震源とする震度6弱 の地震が発生、これに伴い大津波が東日本太平洋岸一帯を襲い、午後3 時30分頃、高さ十数メートルの大津波が北萱浜地区に襲来し、地区戸 数95軒中65軒が全壊流失した。この未曾有の大震災により53人の尊い人 命が失われました。この東日本大震災による悼ましい犠牲者の慰霊のた め、この碑を建立し永久にこれを追慕するものである」

碑の裏側に53人の名前が刻まれている。最初に彫られているのは八 津尾一郎さん、トミ子さん夫妻。海岸から500メートルの自宅で大津波 にのまれた。飼っていた犬も一緒だった。八津尾さんは村史をまとめた 「北萱浜史」の編集に携わるなどの功績を残した。最後には数間春夫さ んの名がある。農協の元職員で営農指導などに尽力した。津波からは生 き延びたが、仮設住宅で体調を崩し帰らぬ人となった。

白狐

慰霊碑が建てられたのは海岸からおよそ1キロ離れた稲荷神社の傍 ら。境内には赤い前掛けをした一対の白狐の石像が鎮座している。人や 家屋をのみ込んで押し寄せた大津波は、白狐の石像を押し倒して止ま り、神社は生と死の境界線となった。隣接する公園の鉄棒は折れ曲が り、3台のブランコは飴(あめ)が溶けたように絡まり合った。社は無 事で、地元では「白ギツネが守ったのでは」と噂された。

北萱浜の伝承では、稲荷神社の白狐像は天保の大飢饉(1833-1839 年)で亡くなった人々の魂を鎮め、村の安寧を祈願するために京都の伏 見稲荷大社から移されたという。天保の大飢饉では洪水や冷害で死者は 推定20万-30万人に及んだ。時の相馬藩主は村を立て直すため、周辺地 域から人を集め10年間で復興させたという。

白狐は約200年前から南相馬を見守っていた。その歴史の重みを感 じた北萱浜の村人は、慰霊碑の場所にこの地を選んだ。それはゼロから 再スタートするという決意の証でもある。白狐の石像には、津波で壊れ た際の修復に使われたセメントの跡が白く残る。

復興計画に半信半疑

北萱浜の広さは、東京ディズニーランドとディズニーシーを合わせ た面積の倍近い。津波で家や町が流された更地は、海の向こうの水平線 までつながってるように見える。その土地で村人は農業復活に向け第一 歩を踏み出す。南相馬市は、住民ら約30人を今月14日から11月末まで時 給1200円で雇い、がれきの撤去や土砂で埋まった排水路の清掃や除草、 除染作業を行う予定だ。

北萱浜農地等復旧推進委員の代表を務める林一重さん(68)によれ ば、13年5月には田植えをするなど、米や野菜を栽培して収入源にする 計画という。一方で「除染作業で表面の土を深さ5センチほど削れば大 方のセシウムは減らすことができると聞くが、人々が本当に北萱浜から 出荷された米を食べてくれるだろうか」と不安を隠さない。

東京電力の福島第一原子力発電所から25キロメートル圏内の南相馬 の放射線量はまだ高く、9日午前8時40分、南相馬市役所で毎時0.363 マイクロシーベルトと東京新宿区の0.049マイクロシーベルトの7倍強 を記録している。

家族4人を亡くした林さんは、「仕事がなければ生活できないし、 希望がなければ生きていけない」と14日からの復興作業に全力で取り組 む姿勢だ。

福島の子どもたち

不安は大人だけではない。福島県の子どもたちは今でも放射能のリ スクにさらされ続けている。都道府県で3番目に広い福島の人口は4月 1日現在で197万人、うち15歳未満の子どもが25万7000人生活してい る。前年より1万5000人減少したが、5歳以下の乳幼児が9万人以上住 む。

  世界原子力協会(WNA)は、放射線は人間の細胞やDNAを破壊 し、長期にわたって被ばくすれば白血病や種々の癌(がん)を引き起こ すと説明する。子どもは細胞の成長が早く影響も受けやすい。しかし、 原発事故直後と違ってマスクして登下校する子どもの姿は今ではほぼ見 かけなくなった。事態は深刻なままだが、危機意識だけが遠のいてい る。

福島市内の「青空幼稚園たけの子」の辺見妙子代表(51)は「子ど もたちにとっても、低線量被ばくが続いているのは同じだ。むしろ表面 上は何事もなかったように生活していることで、事態は悪くなっている と思う」と話し、被ばくについて「声を上げられない雰囲気がある」と 漏らす。

福島県災害対策本部が4月10日から24日にかけて県内の1138施設を 対象に行った放射線モニタリング調査によれば、福島市内の川寒運動公 園で平均毎時2.1マイクロシーベルトを検出した。11年4月の前回調査 の2.4マイクロシーベルトからは改善したものの、依然として高い数値 を記録している。

「人が人間になるために」

「たけの子」は10月以降、園児を福島市内から放射能の心配のない ところで遊ばせる「サテライト保育」を毎日実施している。3歳から6 歳の4人の子供が月曜から金曜の毎日、山形県米沢市まで片道1時間10 分かけて車で移動する。

辺見代表は、サテライト保育を始めて以降、「子どもたちは非常に 伸び伸びと毎日外遊びを満喫している」と感じている。「人が人間にな るためには五感を使わなくてはならない。使わないまま大人になるとロ ボットのように感情が持てなくなるのでは」と太陽の光を浴び、屋外で 自然に触れながら遊ぶ意義を語った。

しかし、民間の幼稚園がこうしたサテライト保育を続けるのはコス ト面から厳しい。今は辺見さん自身がバンを運転している。継続するに は、送迎のためのバスや運転手、保育士の確保などが課題になるが、行 政などの支援はない。北萱浜の村人は慰霊碑の建立に続き、稲荷神社の 修復を計画、380万円の費用を行政に求めているが、回答はまだない。

民間の力

被災地を粘り強く支援しようという動きが、金融機関などにも広が り始めている。米ゴールドマン・サックスは、震災後の子どもたちの心 の回復をサポートする「Arts for Hope」に協賛。災害、 医療、教育、美術などの専門家と連携して、保育園や小学校、仮設住宅 を訪問、子供たちに絵を描いたり、巨大鯉のぼりを作ったりする機会を 提供、夢中になって思い切り全身で楽しめるよう支援している。イベン トの開催は今年に入り福島、岩手、宮城で20回に達した。

「復興の目途は立っていない。再建計画も宙ぶらりんで原発問題は 長引いている。大人たちは不安を抱え、子どもたちはそうした不安を感 じ取りそれがストレスになっている」-。NPO「Arts for H ope」の高橋雅子代表はこう指摘する。「復興は時間のかかる問題 だ。私たちはずっと被災者に寄り添っていかねばならない」と述べ、今 まさに民間の力が必要とされていると語った。

野村ホールディングスは福島大学と4月に震災復興支援に関する連 携協力協定を締結した。同大学への寄付のほか、福島大学「うつくしま ふくしま未来支援センター」の原発事故の被害調査や被災地の復旧・復 興を支援する方針だ。バンクオブアメリカ・メリルリンチは岩手県大槌 町で学校設立ために資金援助を行った。NPO「カタリバ」は1月、 家や塾が流されて学ぶ場所を失った子どもたちが受験指導やキャリア学 習の機会を受けられる「大槌臨学舎」を開校した。

野村証券で代表執行役会長を務める多田斎さん(56)は、1995年に 阪神淡路大震災に襲われた神戸の出身だ。これまで「復興に向けて何が できるだろう」と17年間思い続けていたが、会社として支援できなかっ たことへの忸怩(じくじ)たる思いが残ったという。そのため東日本大 震災では長期的に支援をしていきたいと決意を語った。

北萱浜の慰霊祭は午前10時から行われる。玉串を捧げ、祈祷を行 い、榊の葉を手向け、亡くなった人々の冥福と復興を祈願。式典の後 は、主婦の手作りの豚汁、おにぎり、漬物が振る舞われる。

東日本大震災発生から1年と2カ月が経過しようとしている。南相 馬は、東京・丸の内のオフィス街から新幹線とバスでわずか4時間。そ こには全く違う世界が広がっている。北萱浜の慰霊祭に参列する150人 は、津波と原発の二重苦を背負い希望と絶望の狭間にいる。

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