スティーブ・ジョブズ氏死去:最高峰ハイテク企業のカリスマ創業者

コンピューターから音楽、携帯電 話産業に革新をもたらし、消費者のデジタルライフを一新したアップ ルの創業者、スティーブ・ジョブズ氏が5日死去した。56歳だった。

ジョブズ氏は2011年8月24日にアップルの最高経営責任者(C EO)を辞任した。カリフォルニア州クパティーノに本社を置くアッ プルが同日発表した。同氏は2003年にすい臓がんの一種で珍しい型の 神経内分泌がんと診断され、09年には肝臓移植手術を受けていた。

同社取締役会は「スティーブ・ジョブズ氏が死去したと発表する ことにわれわれは深い悲しみを覚えている。スティーブの才能と情熱、 エネルギーはわれわれすべての人生を豊かにし、改善する無数の技術 革新の源だった。世界はスティーブによって計り知れないほど良くな っている。彼が最も愛していたのは妻ローリーンと家族だった。彼ら と彼の類まれな才能に感銘を受けた全ての人にわれわれは思いをはせ ている」との声明を発表した。

大学中退後の1976年、エープリルフールの4月1日に実家のガレ ージでアップル・コンピューター(当時)をスタートさせたジョブズ 氏は、長髪のテクノヒッピーといった反体制的スタイルで、シリコン バレー企業家の象徴的存在となった。テクノロジー関係の本格教育を 受けたことはなく、ビジネス経験もなかった。

その代わり、テクノロジー特有の優雅さを理解する心と、コンピ ューターは単なるおもちゃや仕事の道具にとどまらないとの信念があ った。コンピューターは人生に欠かせないツールになり得ると-。同 氏は自ら起こしたテクノロジー革命によってこれを実現した。

オバマ大統領

ジョブズ氏の死去についてオバマ米大統領も、「スティーブは米国 で最も偉大な技術革新の旗手の1人であり、人と異なる勇敢な発想と 世界を変革できると信じる大胆さ、それを実現する才能を有していた」 とのコメントを発表した。

アップルはジョブズ氏の指揮で新しいデジタル時代を築き上げた。 コンピューター「マッキントッシュ」に始まり、後にメディアプレー ヤー「iPod(アイポッド)」、そして多機能携帯端末(スマートフ ォン)の「iPhone(アイフォーン)」、さらにはタブレット型コ ンピューター「iPad(アイパッド)」と、アップル発の波を次々と 起こし、市場を席巻した。

ジョブズ氏はアップルの価値を高め、エクソンモービルに続き時 価総額で世界第2位の企業に躍進し、単にハイテク世界の預言者では なく、経営の巨匠として称賛されるまでになった。

秘密主義と完ぺき主義

ジョブズ氏の波乱万丈の職歴の第1幕は、76年から84年の上昇 期。コンピューター「アップルⅡ」の成功で始まった。80年には新規 株式公開(IPO)にこぎ着け、約3年後にはグラフィックを多用し た「マッキントッシュ」を送り出した。

第2幕は挫折を味わう84年から97年まで。取締役会との権力闘 争の末、85年にアップルを追放される。ジョブズ氏はNeXTコンピ ューターを創立。映画プロデューサーのジョージ・ルーカス氏からデ ジタルアニメーションの制作スタジオを買い取り、これが後のピクサ ーとなった。

アップルによる97年のNeXT買収から第3幕が始まる。古巣ア ップルに舞い戻ったジョブズ氏は、経営に苦しむ同社を立て直し、ビ ジネス史上最大の復活劇とまで言われるほどの成功を収めた。

努力を傾ける対象がマックであれ、アイフォーンであれ、あるい はヒットメーカーのピクサーのアニメーション支援であれ、ジョブズ 氏が証明して見せたのは、複雑なテクノロジーでもシンプルで美しい 製品に設計することが可能であり、消費者の絶大な支持を得ることが できるということだった。

駐車場でのエゴ

アップル製品へのきめ細かい目配りはやがて、ジョブズ氏自身の イメージに投影され、同氏の存在はアップルというブランドと切り離 せなくなった。公の場では黒いタートルネック風シャツとジーンズと いうスタイルが同氏の定番となった。

めったにインタビューに応じないことで神秘性を醸したことも、 ジョブズ氏のカリスマ性をさらにかき立てた。また独特の新製品発表 のスタイルも、ジョブズ氏のオーラを強めた。念入りなリハーサルを 重ねたプレゼンテーションでは、最後の最後まで一切の妥協も許さな かったという。

こうした完ぺき主義が奏功し、アップルの売上高はジョブズ氏の CEO退任前の2011年4-6月期に286億ドルを達成。82%という大 幅増収を成し遂げた。株価は8月24日に376.18ドルで引け、時価総 額は3488億ドルに膨れ上がった。

シリコンバレーの申し子

ジョブズ氏の場合、成功の大きさに負けない強いエゴがあったこ とが知られている。駐車場の身障者用スペースに停められたシルバー のメルセデスベンツ「SL55 AMG」にナンバープレートをかたくな に付けないため、アップル本社の駐車場ではすぐにジョブズ氏の愛車 だと分かる。

人を褒めた口の渇かぬうちに同じ人をけなす--。アラン・デウ ッチマン氏著「スティーブ・ジョブズ氏の再臨―世界を求めた男の失 脚、挫折、そして復活」では、この性質を「英雄から大ばか者へのジ ェットコースター」と表現している。

スティーブン・ポール・ジョブズ氏は1955年2月24日、サンフ ランシスコで生まれた。大学を卒業したばかりで未婚のカップルに誕 生した子供は、後にシリコンバレーの中心地となるロスアルトスでジ ョブズ夫妻の養子となった。

当時からテクノロジーの雰囲気を漂わせていた環境で育った少年 は、周波数カウンターを自作しようと、ヒューレット・パッカードの 共同創業者であるウィリアム・ヒューレット氏に電話をかけてあれこ れ質問を浴びせるなど、高校進学前からテクノロジー起業家の片鱗を のぞかせた。

「心の導くままに」

オレゴン州ポートランドの進歩的アートスクールであるリード・ カレッジに進学したジョブズ氏は6カ月で中退。その後も友人宅を泊 まり歩き、空き瓶回収で生活費を稼ぎながらキャンパスに残った。聴 講したカリグラフィー(西洋書道)の授業で、その後の生涯を通じて 追求していくことになるエレガントなデザインへの息吹を感じ取った。

ジョブズ氏はこのときの体験について、2005年にスタンフォード 大学での卒業生向けスピーチで振り返り、美的センスを養うことと技 術的な理解を深めることの「点と点がつながった」と語った。テクノ ロジーと芸術性は相互を補うものであり、コンピューターの新しい世 界は創造性への新たな橋渡しになれると実感したという。

すい臓がん手術の翌年に行われたこのスピーチでジョブズ氏は、 「何かを失いたくなくて固執するという罠にかからないためには、人 はいつかは死ぬということを忘れないでおくのが一番だ。すでに裸の 身なのだから、心の導くままに行動しなくてどうする」と卒業生らに 語った。

コンピューターのOSの分野でアップルの挑戦を受けたマイクロ ソフトのビル・ゲイツ会長は、07年のイベントでジョブズ氏について こう語った。「スティーブのセンスが買えるのなら、巨額を払っても欲 しい。彼のやり方はとにかく違う。魔法のようだ」。