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【ドキュメント】暴走原発の恐怖、津波に屈した福島第一-続く苦闘

仙台市役所3階の危機管理室。主 幹の永井誠(55)は誰よりも早く地震が来るのを知った。目の前の警 報システムが突然作動、オレンジ色のスクリーンは震度4の地震が 100秒以内に来ると告げた。カウンターは異常なスピードで加速、震 度予告は瞬時に5になり、そして6に変わった。

机のコーヒーカップが浮き上がった。耐震構造のビルの壁は壊れ、 本棚が崩れた。叫び声が聞こえる。あれから1カ月半。地震と津波に よる死者・行方不明者は2万6000人を超え、宮城県では最も多くの犠 牲者が出た。スクリーンが刻む数字は、永井らの苦闘の始まりへのカ ウントダウンでもあった。

3月11日。宮城県牡鹿半島の沖東南東130キロ、深さ24キロを 震源にマグニチュード9.0の巨大地震が発生した。そのエネルギーは 長崎原爆の2万4000倍以上。宮城県栗原市では震度7を観測し、東 北地方の太平洋沿岸は米国側に約3.6メートル動いた。

仙台市から南に111キロの東京電力福島第一原子力発電所。ここ で世界を恐怖に落とし入れる危機が間もなく発生することを、まだ誰 も知らなかった。

■3月11日午後2時46分■

松本和彦(43)は、休止中の6号機のタービン建屋でエアダクトの 作業を終えるところだった。地震とともに照明が消え、思わず壁にし がみついた。ほどなく非常用照明が点灯し、スピーカーから避難を呼 び掛ける放送が流れた。「早く出ろ、出ろ」と誰かが叫んだ。みんな 「われ先、われ先」だった。

外に出ると、地面はゆがみ、あちこちの建屋からオレンジ色や青 色、白色のつなぎに身を包んだ作業員が続々と表に出ていた。東電に よると、福島第一原発ではその時6415人が働いていた。うち5500人 以上が協力会社の従業員。その後の点呼で東電社員2人が行方不明に なっていることが分かった。

松本ら作業員は点呼の後、家族の安否を確かめるため帰宅した。 道路に亀裂が入り渋滞もひどく、松本は車をあきらめ10キロほど歩 いて妻の実家にたどり着いた。妻、3歳と9歳の息子2人は無事だっ た。

 原子力安全・保安院福島第一原子力保安検査官事務所の所長、横 田一磨(39)は敷地内のオフィスにいた。天井の崩落に備えてデスクの 下に身を守り、「妻にメールを送ろうと思ったら、もうつながらなか った」という。

しかし、この時点では危機的な状況には見えなかった。道路は壊 れ、建物の窓は割れていたが、巨大な原子炉建屋は6つとも激しい揺 れに耐え、稼働していた3基の原子炉も自動停止した。安全技術は機 能していた。横田は「状況をモニターしなければならないと思ったが、 それ以上のことは考えなかった」と振り返る。

連絡取れず

保安院の横田は、地震が収まるとヘルメットを被り、2人の同僚 とともに正門からタクシーで大熊町にある保安院の事務所に向かっ た。災害が発生した場合には緊急時の対応拠点「オフサイトセンター」 を立ち上げるのが横田らの任務だった。15分で事務所に着いたが、 中はめちゃくちゃ、停電で通信手段は一切機能しなかった。1、2時 間は誰とも連絡がとれず、大変な事態が起きたと感じ始めていた。

一方、第一原発では所長の吉田昌郎(56)ら3人が「緊急対策本 部」を立ち上げるため、3階建ての免震重要棟に向かっていた。ここ は、放射線を防ぐフィルターを備えた堅牢な建物で、東電本社の間に ホットラインがある。この後、吉田らの生活の場にもなっていく。

吉田は原子力の産業設備の長寿命化などを目指す日本保全学会 の副会長の経験もあり、2010年6月に福島第一原発の所長になった。 第一原発は4回目の勤務。横田によると、吉田は第一原発を何から何 まで知り抜いている男だ。

安全を最優先

吉田は東電のウェブサイトに掲載された1月4日付のビデオに よる年頭あいさつで、「発電所の基本は『安全優先』であることに変 わりはありません。安全を最優先に、発電所を安定して運転していく ことが、私達の使命と考えています」と述べている。ブルーの作業服 に赤いネクタイ姿の吉田は新年を祝う門松の間に立ち、笑顔で何度も 頭を下げた。

東大名誉教授で日本保全学会会長である宮健三は、吉田について 「能力は人並み以上で決断力もある。体も大きいが、包容力もある。 常に建設的で前向きだが、注意が必要なときには悪いニュースを伝え ることも拒まない」と評す。

地震後の急務は電源対策だった。第一原発から10キロほど離れ た変電所が地震で壊れ、第一原発の冷却システム用の電力供給がスト ップ。非常用ディーゼル発電機13基の出番となった。

道がすべて海に

福島第一の2号機で主任業務を担う田村章(35)は休日で、20キ ロ離れた南相馬市の自宅アパートにいた。スウェットにTシャツとい う格好で、インターネットのニュースを見ていた。建物や瓦が音を立 てて崩れていった。近所のお年寄りの世話をしたりしてから、花屋で 働く妻を迎えにいこうと車に乗り込んだ。しかし「今まで走っていた 道がすべて海になっていた」という。

このころ、第一原発から26キロ北方の南相馬市では、市長の桜 井勝延(55)が、災難は地震だけではないという現実を目の当たりにし ていた。

桜井は市庁舎の5階屋上に上がり、海の方角を見やった。「波が 土をたたきのめして上がっていて、その高さが風の煙のように見えた」 「海岸沿いの人たちは圧倒的に家まで破壊されてのまれてしまった」。 地震・津波による南相馬市の死者・行方不明者は1500人近くに上っ た。

米地質調査所(USGS)によると、日本沿岸の海底は約300キ ロの断層に沿って変動した。コロラド大学の地震学者、ロジャー・ビ ルハム氏によると、この変動で67立方キロメートルの海水が津波と なって日本を襲った。これはニューヨークのマンハッタン全体を深さ 1600メートルの水底に沈めることができる水量だという。

防波堤

福島第一原発を襲った津波は、6万個のコンクリートブロックと 25トンのテトラポッドで固められた長さ2.5キロの防波堤や、高さ最大

5.6メートルの防潮堤を越えた。原子炉建屋やタービン建屋など主要な な設備は海面から10メートルの高さに建設されているが、東電の推定 によると、津波の高さは約14メートルに達した。

発電所関係者へのインタビューから総合すると、津波が襲ったと き、現場の作業員の多くが高台に避難しており、視界を建屋にさえぎ られたことなどから、実際に津波を目撃した者はほとんどいなかった。 東電に30年勤務する技術者の1人は地震の後、5号機や6号機の点 検作業などをしていたため、津波自体に気がつかなかったと証言して いる。

海水はタービン建屋地下などに流れ込み、13基中12基の非常用 ディーゼル発電機やその他の電源設備の機能を奪った。海水で電気回 路がショート、原子炉冷却ができなくなり、惨事の引き金が引かれた。 東電原子力設備管理部課長の黒田光によると、タービン建屋地下では 水位が1.5メートルほどになったところもあった。

原発の安全を守る技術は大地震には機能したが、大津波の前には 無力だった。

■3月11日午後3時41分■

津波襲来により、福島第一原発1-3号機で電源が失われた。そ の1分後、東電は子力災害対策特別措置法に基づき、1-3号機「全 交流電源喪失」の10条通報10条通報を行った。

冷却機能を失った原子炉は、沸騰する巨大なやかんと化す。内部 の水は蒸気に変わり、設計限度を超えて圧力が上昇、燃料棒は水から 露出して崩壊し放射性物質を放出する。保安院は後に、福島第一原発 は今回の事故で1-3号機の燃料ペレットが「溶融していたと思われ る」との見解を発表している。

■3月11日午後4時36分■

電源喪失から55分後、蒸気を使用したタービンで駆動する非常 用炉心冷却装置が1、2号機で不能となり、東電は原子炉の温度上昇 を止める手段を失った。9分後の4時45分、原災法の第15条通報を 行った。

■3月11日午後7時3分■

首相の菅直人が原子力緊急事態を宣言。原発周辺の住民に避難を 要請、12日には対象を半径20キロ圏に拡大する。

東電の資料によると、この後約2時間にわたり1、2号機の燃料 棒が入っている原子炉内の水位の計測ができなかった。午後9時半以 降は炉内の水位のデータを確認できるようになった。

■3月12日午前8時36分■

1号機の原子炉で、燃料棒の上部から計測する水位がゼロとなり、 燃料棒の露出、空気との接触が始まる。その後4時間で水面上に露出 している燃料棒の長さは1.7メートルになった。

原子炉内の圧力が上昇したため、ベントにより放射性物質を含ん だ蒸気を大気中に放出せざる得ない状況になる。もし圧力が高まり過 ぎると、爆発してより多くの放射性物質が放出される。

■3月12日午前10時17分■

東電が1号機のベントを開始。

■3月12日午後3時36分■

1号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月14日午前11時1分■

3号機原子炉建屋で水素爆発が発生。

■3月15日午前9時38分■

4号機の使用済み燃料プールで火災が発生。このプールには1300 本以上の使用済み燃料が保管されていた。

米カリフォルニア大学バークレー校のエドエワード・モース教授 (原子力工学)は、それまでの冷却機能喪失はスリーマイル島原発事 故程度とみていた。使用済み燃料プールは「普通は古い燃料の保管場 所なのでリスクは小さいが、4号機には大量の燃料があった」。「放射 性物質を封じ込める構造物がなくなった。屋根さえもない。これで事 態は変わってしまうかもしれない」と考えたという。

東電は、3基の原子炉がメルトダウン(炉心溶融)の危機、さら に4号機の使用済み燃料プールが火災を起こして放射性物質を空中 に放出するという事態に直面した。原子炉の冷却水循環システムは使 えないため、消防車や、陸上自衛隊のヘリコプター、警察の放水車、 コンクリートポンプ車などを手当たり次第に投入して、放水や注水に よる原子炉の冷却に努めることになる。

放射線

福島第一原発では、2回にわたって放射線量が毎時1シーベルト を記録した。米環境保護局によると、この線量に30分さらされると 吐き気をもよおし、4時間被ばくすると4カ月以内に死亡する可能性 があるという。

大熊町の保安院オフサイトセンターは放射線量が増加したため、 70キロ離れた福島市内の県庁に拠点を移さざるを得なくなった。横 田によると、オフサイトセンターの放射線量警報システムは、「ピン ポン、ピンポンと鳴り続けていた」。横田も防護服に全面マスクを着 用した。

横田は15日に福島県庁内のオフサイトセンターに移動。原発と の間を行き来し、政府や福島県と現場指揮官との間の情報をつないだ。 14日に3号機の建屋が爆発したときには、免震棟は、フィルター設 備があるにもかかわらず、内部の放射線量が約12倍に上昇したとい う。

現地で緊急対策の作業に当たっていた田村は、宿舎となった小名 港に停泊する帆船「海王丸」の外でインタビューに応じた。現場では、 消防車で注水しても水が増えない状況があり、タービン建屋内で1メ ートル近いバルブを3人がかかり手動で回し続ける作業もした。食事 は乾パンと水。ベッドもなく床で寝た。初めは毛布もなかったという。 1週間ぶりに風呂に入った田村は、ご飯をおかわりしたかったが、そ れまでの食事の量がすくなかったため身体が受け付けなかったとい う。

人間が制御できるか

高校は東電学園高等部に進学、ラグビー部でフランカーとしてプ レーした。原子力は高校3年の時に初めて勉強したが、今回のような 原発事故に遭遇するとは知る由もなかった。「原子力が難しい設備で あることを再認識した。そもそも人間が制御できるものなのか」とつ ぶやく。

田村が福島第一に向かおうとしたとき、「妻はお願いだから行か ないでと言った。そのときの妻の顔を今でも思い出す」という。今は 「ただただ妻に会いたい」と思う。花屋で働く妻は「花が大好き。僕 も花が大好き」だといい、特に「花をいじっている妻を見るのが好き。 すごく楽しそうにしているから」。

■4月3日■

4号機タービン建屋の照明が回復。東電は、行方不明になってい た21歳と24歳の東電社員2人が遺体となって見つかったことを発表 した。東電が危機収束に向けた計画を発表するのはこの2週間後の4 月17日となる。

仙台市の永井は、地震予告のカウントダウンから46日経った今 でもほとんど家に帰ることはない。災害対策本部で、自衛隊とともに 行方不明者の捜索や避難所への物資の手配を続けている。

(関係者への取材を基に構成、敬称は省略した)

--取材班:稲島剛史、岡田雄至、佐藤茂、中山理夫、萩原ゆき、日向 貴彦、山崎朝子、渡辺千咲 Aaron Sheldrick、Finbarr Flyn、Jason Clenfield、 Jim Polson、Pavel Alpeyev, Stuart Biggs、Yuriy Humber, , Editors: Peter Langan, Bill Austin, Kenzo Taniai, Takeshi Awaji, Maruta Fukashi

参考画面: 記事に関するエディターへの問い合わせ先: 東京  大久保 義人 Yoshito Okubo +81-3-3201-3651 yokubo1@bloomberg.net

Peter Langan +81-3-3201-7241  plangan@bloomberg.net

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