【音楽評論】70歳のジョン・レノンを一緒にイマジンしよう-Mビーチ

銃撃がなかったと想像してみよう。 やってみれば簡単なことだ。犯人のマーク・チャップマンもいない。 ただ、辛辣(しんらつ)な老人となったジョン・レノンが生きている のだ。

私のことを夢想家と言うかもしれないが、それは私1人だけでは ないはずだ。きょう、ファンはジョン・レノンの没後30年を迎える。 元ビートルズの一員だった彼が生きていたら何をしていたか、どんな ことを主張していたか、どんな曲を作ったか、彼の短い生涯を基に想 像することは可能だ。私が想像するジョン像は、偏屈な70歳の英国人 らしさがさほど強くない変わり者で、馬鹿にする人は多いものの、フ ァンの尊敬の念は変わらない、というものだ。

1981年当時、創作的な展望はそれほど良かったわけではない。ロ ックというのは若者の情熱や痛みから生まれるのがベストなのだ(ジ ョンの例を挙げるなら「ゴッド」や「ヘルプ!」など)。ジョンは死亡 した時には中年の金持ちになっており、家庭の幸せと長い休暇ですっ かり丸くなっていた。あの甘ったるい「ダブル・ファンタジー」とい うLPの中の曲に、息子のショーンに宛てて書かれた「お前が大人に なるまで待てないよ」という歌詞があった。今となっては重たく、皮 肉な意味を持つ歌詞だが、当時はただうんざりするだけだった。

最大の誘惑

最も望まれるのは、ジョンがニュースのヘッドラインか何かを目 にしたことをきっかけに、こうした自己満足的な状況から目を覚まし、 猛烈に音楽作りに取り組むということだ。彼は不機嫌で歯に衣着せぬ 物言いをする時こそ最高だった。ジョンはテクノロジー恐怖症を克服 し、ストリーミング音楽配信、ブログやツイッターを使ってメッセー ジを早く伝えようとしたのではないだろうか。

最も誘惑に駆られる想像は、ビートルズ再結成だ。ポール・マッ カートニーは、ジョンの「主夫」時代、彼が当時住んでいたニューヨ ークのアパート「ダコタ・ハウス」にギターを持って訪れたが、ジョ ンに追い返されてしまった。それでも、「疎遠になった婚約者」同士で ある2人が何らかの理由で再結成にこぎつけることは想像に難くない。

ジョンはいつも尋常ではないほど自分に満足しており、他の人が どう考えようが気にしなかった。彼はもっと本を執筆し、「ニルヴァー ナ」の容赦ない攻撃性を好み、「オアシス」をコピーバンドだと非難し ていたはずだ。ジョンが生きていたら起きていたはずのことを以下に 年表にしてみた。

1980年12月8日:ジョンはダコタ・ハウスに帰宅。長男のジュリ アンに電話する。ジョンは直前のインタビューで、彼の成長に立ち会 えなかったことは残念だったと語っていた。クリスマスにジュリアン にバイクを買ってやることを約束。

1984年:チャリティーイベント「バンド・エイド」に参加。

1985年:ビートルズは「ライブ・エイド」で再結成し、「アクロス・ ザ・ユニバース」を歌う。ジョンはその後数年間、「ライブ8」や「ラ イブ・アース」などのコンサートでU2やボブ・ディランと共演した 後、「チャリティーのすべてに飽きた」と宣言。

1986年:「ギブ・ピース・ア・チャンス」を再レコーディング。 当時のレーガン米大統領やサッチャー英首相、ヤッピー(都会の若い エリートサラリーマン)を攻撃。マンデラ氏解放運動を開始。

1991年:アメリカ英語なまりになったジョンだが、ロンドンに家 を購入する。だが、米国やバミューダで過ごす時間の方が長い。

1995年:ポールはビートルズの曲のコンピレーション(編集)で ジョンの協力を要請。ジョージ・ハリソンのスタジオで即興の演奏を 行うが、リンゴ・スターは居眠りをし、他のメンバーは口論になる。 この計画はお蔵入りになる。

1997年:ポールがナイトの称号を受ける。ジョンは「昔だったら 嫌悪感を抱いただろうが、今は彼が幸せならそれでいい」とコメント。

2001年:ジョンは未完成のビートルズ再結成のアルバムをフィ ル・スペクターの協力を得て完成させる。ジョージ・ハリソンの死後、 トリビュート・アルバムとして「フリー・アズ・ア・バード」という タイトルで発表される。

2003年:15番目の名誉博士号を受ける。環境保護を訴える20枚目 のCD「クロスパッチ」を発表。

2008年:「親友」バラク・オバマ氏のために選挙キャンペーン。 09年の大統領就任式では、薄くなった白髪にフェドラ帽をかぶって 「イマジン」を歌う。後にジョンがホームレスの人々のために無料の オーガニック食品を要求したことで関係が悪化。

2009年:妻ヨーコ・オノとの結婚40周年記念日を、結婚式の定 番になった「グロー・オールド・ウィズ・ミー」の新バージョンで祝 う。

2010年12月8日: レノン家は普通の1日。息子ジュリアンが、 和解の日からちょうど30年たったと電話してくる。ジュリアンは父に もらったバイクを大切にしているが、ボノが主催するチャリティー・ ランのために売りたいと言う。ジョンは了承し、スタジオに向かう。 (マーク・ビーチ)

(マーク・ビーチ氏はブルームバーグ・ニュースに芸術・レジャ ー関係の評論を寄稿しています。評論の内容は同氏自身の見解です)

    最新の情報は、ブルームバーグ端末にて提供中
    LEARN MORE