【経済コラム】ケルビエル氏、この平凡な男の転落の軌跡-M・ルイス

誰かが他人に72億ドル(約7700億円)の 損失を与えたとすれば、人々はその人物について知りたくなるのが自然だし、 その人物はある意味で普通ではないのだと思い込みがちだ。750億ドル以上の 株式をこっそりと買い入れ70億ドルをふいにするには、ある種の才能が必要な はずだと。

だが熱心なジャーナリストの取材にもかかわらず、われわれが知るジェロ ーム・ケルビエル容疑者(31)はごく平凡な学生だった。そうした彼を孤独な 連続殺人犯のように扱ったり、あるいは読者獲得のためか、米国の俳優トム・ クルーズにそっくりだと伝えるメディアもある。平凡な若い男性についての記 事を面白くしようとする努力は分かるが、彼を知るという「旧友」の証言に惑 わされることになる。それに、彼の悲しげなやつれた表情を写し出した顔写真 はトム・クルーズとは似ても似つかない。

フランスの大手銀行ソシエテ・ジェネラルで、ケルビエル容疑者の上司が 不正を突き止める今月18日まで、誰も彼を特別だとは考えなかったし、実際、 彼はそうではなかった。

英投資銀行ベアリングズを1995年に破たんさせたニック・リーソン氏ら 多くのローグ(ならず者)トレーダー同様、ドラマの主人公は本当に薄っぺら だ。さえない人間こそが、興奮を覚える異常なことができるのだ。普通のこと に面白みを見つけることができない人は、楽しみを知る人に比べ、うわべのス リルに執着してしまうものだ。そのスリルが、欧州の株価指数先物に750億ド ルを投資することだったりする。

ケルビエル容疑者について語ろうとすれば、それは邪悪な天才ではなく、 自分ではどうにもならない状況に置かれた凡庸な若い男の物語となるだろう。 彼は自分自身がそうした状況に直面するとは全く想像しなかったが、物語は幾 つかの段階を経て進んでいったに違いない。

第1幕

その第1幕の始まりは恐らく、株価指数の価格差で差益を得る裁定取引を 担当していたケルビエル容疑者の真のトレーダーになりたいという願いだ。仕 事を通じ相場観を養った彼は、ある日、確信を持って買い注文を出し、本来な ら裁定取引を解消するのに必要な売り注文を出さなかった。こうしたささやか な反抗は、隠すのに苦労することもなかった。

だが、容疑者はすぐに衝撃的な損失を出し始めていることに気付く。そし て第2幕が始まる。相場は下落し続けているが、彼はさらに安い値段で買い注 文を出し続ける。いずれは相場が反発し、損失は消えてしまう、と。彼は半狂 乱になって、1日のすべてをそうした賭けと損失の隠ぺいに費やす。

ファンタジー

「相場が戻りさえすれば、収支はとんとんになるし、誰にも分からないは ずだ」と考えたケルビエル容疑者は今や、本当に「物静かな一匹オオカミ」と なる。誰かと話す時間などない。彼の頭の中はカネ、カネ、カネでいっぱいだ。 心の奥底では間違った行いをしているという思いが去来し、夜も眠れない。以 前は、セーヌ川沿いの散歩や、薄くマスタードを塗ったバゲットにカマンベー ルチーズを乗せて食べることを愛していたはずだ。しかし、もう食べ物どころ ではない。

恋愛に思いをめぐらしていたこともある。だが、今の彼の心の中で最も遠 い位置にあるのがセックスだ。彼はフランス人であることをやめ、米国人にな りつつある。

完全に自由だという、奇妙で間違ったはかない感覚が彼を包み、彼の心は 自身が置かれた現実を全く受け入れることができず、ファンタジーを生み出す ために残業を続ける。誰かに見つかる前に死んでしまうことや、テロリストが ソシエテ・ジェネラルを爆破することを空想するのだ。

ある晩、パリの歴史と威厳が帰宅途中の彼をとらえる。600億ドルの株式 買い持ち!ソシエテ・ジェネラルの時価総額を上回る額だ。誰もこのことを知 らないし、これからも誰にも分からないだろう。巨額損失を出し続けることさ えできるのだ。数カ月ぶりにぐっすりと眠ることができた彼が目覚めると、待 っていたのは、もちろん、とらわれの身となることだ。

犠牲者

その後に起こることは、これまで起きたこと以上に真実味のないものとな る。ケルビエル容疑者を全く知らない連中が、彼をあたかも知っているように 書いたり、話したりする。そうした連中は容疑者の母親や親戚、学生時代の教 師に電話をかけ、面識のない容疑者について詳細に語る。実際に彼を少しでも 知っていたり、本当にコメントする資格のある人が沈黙を続けるのとは対照的 だ。

今年の世界経済フォーラム年次総会(ダボス会議)に集まった世界の大物 たちは、米サブプライムローン(信用力の低い個人向け住宅融資)危機に加え、 ケルビエル容疑者が起こした巨額損失事件を心配し始めた。だがこうした人々 は、容疑者が事件の本質ではないと理解することはない。ケルビエル容疑者自 身は今、天才でもトレーダーでもなく、事件の犠牲者だと感じているのだ。幾 らか奇妙ではあるが、実際に彼はそうなのだ。 (マイケル・ルイス)

(ルイス氏はブルームバーグ・ニュースのコラムニストです。このコラム の内容は同氏自身の見解です)

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